原発の町から子どもたちのために スーツを着たイケメンハードラー・秋本真吾の挑戦

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原発の町から子どもたちのために スーツを着たイケメンハードラー・秋本真吾の挑戦

スポーティ

セカンドキャリアはスーツでハードル

おしゃれなスーツ姿でジャンプを決めるこちらのイケメンは、男子200mハードルのアジア最高記録保持者・秋本真吾選手(32)。高校から陸上を始め、大学時代には大学時代には日本選手権、日本グランプリシリーズなどで入賞。実業団に進み、北京オリンピック強化指定選手になるなど、国内のトップハードラーとして数々の記録を樹立しました。

30歳でロンドンオリンピック出場を目指すも、代表選考にもれ現役を引退。その後は、プロ野球球団やプロサッカークラブなどを指導するランニングコーチとして幅広く活動。全国各地の小中学校でのかけっこ教室や教育機関での講演、企業研修なども行っています。

浦和レッズの選手達への指導風景。ハードルのメソッドを持ち込んだトレーニング方法はプロアスリートの評判に

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「陸上選手のセカンドキャリアは8割ぐらいが体育教員。残り2割は実業団の会社に残ったり、陸上とは関係のない全く違う仕事をしています」とは本人の談。しかし恵まれたセカンドキャリアをスタートさせたばかりの2013年、自身31歳の誕生日に秋本選手は現役復帰を宣言しました。

プロハードラーであり続ける理由

秋本選手が生まれ育ったのは福島県・大熊町。現役時代、人口1万人の小さな町から出たスターに後援会を作り、町ぐるみで応援してくれたといいます。そんな故郷に恩返しをしようとトレーナーとしての仕事の傍らで、地元でのかけっこ教室やハードルデモンストレーションを始めました。

「教え子の一人が『将来、陸上選手になりたい』って言ってくれたんです。自分のために陸上をやっていたのに、いつしか誰かの目標になっていたのがうれしかった。その子たちに走っている姿を直接見せたいと思って」

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子どもたちの想いを受けて、2013年に大熊町としては初めての陸上クラブチーム『ARIGATO OKUMA』を立ち上げました。

そして地元福島の大会をメインに出場するスタイルで、自らもチームの一員として現役に復帰。子どもたちと同じユニフォームを着て活躍し、故郷の子どもたちに夢を与えることにしたのです。

復帰後のレース。胸には『ARIGATO OKUMA』のロゴ

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震災によって変わった故郷・大熊町

秋本選手が福島を中心に現役復帰を決めたのには、もう一つの理由があります。故郷・大熊町は福島第一原子力発電所のある町。震災で被害を受けた故郷のため、自分のブログで寄付金を募り、救援物資を送る活動を始めました。

「大熊町で働く大人の約3分の2は原発関連の仕事でした。でも震災があって、故郷を離れての生活を強いられて、仕事を失う親も出てきて…子どもたちの未来はどうなるのかなって」

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自らも被災地の学校に出向き、講演や陸上教室を開いていた秋本選手。震災からしばらく経ったある日、「もうモノじゃなくなっている。体験とか経験を子どもたちは欲している」という先生の言葉を聞き、自らのコネクションを活かした新しい復興支援を始めました。

「僕を見て『陸上選手という職業があるんだ』と思った子どもがいるように、僕の人脈でいろんな職業の人を大熊町に連れて行って、子どもたちに講演や授業をしてもらう。そんな体験を通じたキャリア教育をしようと思ったんです」

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故郷のために“スーツで飛ぶ”

秋本選手は自身のWEBサイト用にイメージ写真を撮影し、“オシャレでイケてるハードラー”としてのブランディングを始めました。それに合わせて『ARIGATO OKUMA』のグッズをWEB上で販売。グッズの収益は全額、キャリア教育などの復興支援予算に当てることにしました。

「アスリートは自己発信することに抵抗がある。トップアスリートになればなるほど誰かがやってくれるから。でも僕みたいにそこまで実績が無い選手は、自分で発信して有名人にならなきゃ知ってもらえない。だから進んでTVに出たり、ジャージじゃなくてスーツでハードル飛んだりしているんです」

イメージショットを見てモデルの仕事依頼が来ることもあると言う

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「復興支援」を押し出すのではなく「買いたくなる」ように自らデザインしたARIGATO OKUMAグッズ

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自分がもっと有名になれば、故郷にも有名な人が来て授業をしてくれるかもしれない。そのための交通費やギャラも、グッズが売れれば出せるようになる。TVに出るのも、オシャレなWEBサイトを作るのも、“スーツで飛ぶ”のも、すべては子どもたちに夢を見つけてもらいたい、という想いの中から生まれていると言います。

「好きなものに出会えることは、当たり前のようで当たり前じゃない。僕も走ることに出会えたことに感謝してます。こんなに人生で楽しいことってないんです。好きだからやり続けられた。だから、子どもたち一人ひとりにも“自分にとっての好きなもの”を見つけて欲しいんです」

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自分が好きなことに出会えた故郷、そこに帰れなくなってしまった子どもたちの未来のため、ハードラー秋本真吾は飛び続けています。

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