世界スーパーフライ級チャンピオン 挫折と栄光を知る河野公平という男

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世界スーパーフライ級チャンピオン 挫折と栄光を知る河野公平という男

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「アマチュアの実績もなければ、多分ボクシングセンスもなかった。ただ一戦一戦、死に物狂いでやってきました」。
昨年、亀田興毅選手を判定で下し、WBA世界スーパーフライ級チャンピオンとして現在2連続防衛中の河野公平選手は、控えめにこう言いました。 

河野選手の戦績は40戦31勝、KO勝ちは13。ノックアウト・ダイナマイトの異名を持つ内山高志選手、神の左でKOの山を築く山中慎介選手、世界最速で2階級を制覇した井上尚弥選手ら圧倒的な強さを誇る無敗のチャンピオンと比べると、河野選手の戦績は平凡にみえるかもしれません。

挫折と栄光を繰り返し経験してきたチャンピオン。それが河野選手です。

亀田興毅戦で右ストレートを打つ河野選手

デビュー戦負退、泣いていた20歳の誕生日。

プロボクサーを目指したきっかけは「6ヶ月でプロボクサーになる」という本を読んででした。「人に誇れることがしたかった。まずはライセンスが欲しくて、練習するうちに試合に勝ってお金を稼ぎたいと思うようになった」と河野選手。

デビュー戦は20歳の誕生日前日。名門ワタナベボクシングジムに所属し、期待されていた河野選手ですが結果はまさかの敗戦でした。「悔しくて青あざができた顔でずっと泣いてましたね。最悪の誕生日でした」。

両親はボクシングをやることに反対していたそうです。しかし、デビュー戦に負けた後、父親がリビングにサンドバッグを置いてくれました。ジムだけでなくリビングでも練習をし、人の2倍、3倍練習したという河野選手。「こういう環境を与えてくれた家族に感謝ですね。もう絶対這い上がってやろうと思いましたよ」と振り返ります。

その後は着実に勝利を重ね、東日本の新人王を獲得。そして日本、東洋のタイトルも手にしました。

世界挑戦と3連敗のどん底。

2008年に世界タイトルマッチに初挑戦するも、僅差の判定負けでした。2年後に再度、世界タイトルマッチに臨むも今度は0-3の大差で判定負け。更に追い討ちをかけるように日本人選手に2連敗し、タイトルだけでなく勝利からも遠ざかります。

河野選手はこの時のことを「引退を考えました。でも自分は心の底から何がしたいのかを考え直して、やっぱり世界が獲りたいと強く思った」と話します。
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死ぬ気で自分を追い込んで掴んだ世界チャンピオン。

3度目の世界タイトルマッチは2012年の大晦日でした。「世界戦はマッチングも難しい。3回も世界戦を用意してくれた会長や、応援してくれている人に申し訳ない。これで負けたら死のうとかと思ったくらい自分を追い込みましたよ」。今までのボクシング人生で一番印象に残っているエピソードを聞くと、河野選手はこう語り始めました。

試合は序盤までリードを許す苦しい展開。それでも4回、不屈の闘志で3度のダウンを奪い逆転KO勝利を果たしました。「練習から普段の生活まで、ずっとこの試合のために準備してきた。派手な勝ち方だったからかな。会場の拍手や声援がすごかった。人生で一番震えた瞬間でしたね」。

王座陥落から再び這い上がる。

喜びも束の間、世界タイトル奪取の翌年5月に行われた統一戦。相手はベネズエラのリボリオ・ソリス選手でしたが、判定負け。
この時すでに32歳。ボクサーとしては決して若い年齢ではありません。それでも河野選手はまたも努力を積み重ねて這い上がり、2014年に世界チャンピオンに返り咲いたのです。

「毎試合、引退覚悟でやっています。試合が決まるとナーバスになるし。でもそういう思いを背負ってリングに立ちたいんです。試合当日の朝はさぁやるぞとワクワクします」と力強い目で話します。
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走り続ける「タフボーイ」。

河野選手のニックネームは「タフボーイ」。相手を恐れず前に出続け、手数とスタミナを武器にしたファイトスタイルからこう呼ばれるようになりました。
しかし、河野選手がタフボーイたる所以はそれだけではありません。今までの経験、どん底の時に支えてくれた人への感謝の気持ち、折れない強いハートがあるからこそなのです。

「長くチャンピオンでいられるように努力するだけ。最近では右ストレートにも自信があります。次の試合も期待してください」と話す河野選手に趣味を聞いてみました。

「サンドバッグを叩くことですかね。あと走ること」。

今年36歳のタフボーイはまだまだ走り続けます。


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