杉岡大暉選手に聞いたプロへのステップ。「考えることが成長につながり、プロへの道を拓いた」

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杉岡大暉選手に聞いたプロへのステップ。「考えることが成長につながり、プロへの道を拓いた」

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たくさんの子どもたちが描く、プロサッカー選手になる夢。でも、日本のトップリーグであるJリーグで選手として活躍できるのは、ほんのわずかな選手たちだけです。今、その夢を叶えたばかりの10代20代の選手は、オリンピック出場に年齢制限が設けられているサッカーでは、東京オリンピックへの出場を担う世代。今シーズン、市立船橋高校から湘南ベルマーレに加入した杉岡大暉選手もその一人です。杉岡選手がプロという夢を掴むまでの道のりを紹介します。

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気持ちの持ちようで結果が変わる、自信を持つことでミスがポジティブになった

10代の高卒ルーキーが開幕戦からスターティングメンバーに入ったり、継続的に試合に出場し続けることは、簡単なことではありません。ところが杉岡選手は、開幕戦で初出場を掴み、その後もコンスタントに出場を重ね、シーズンも残り数試合となった今はもう、なくてはならない存在となっています。

そんな杉岡選手ですが、高校2年に上がるまでプロになることを現実的には捉えられませんでした。その時代を振り返ったときに口を突くのは、「下手くそ」という言葉。自信のなさはプレーに表れ、自らチャンスを遠ざけてしまう結果を招くことになったのです。

下手くそだと思っていて、自分に自信がなくて。ごまかしごまかしプレーしていたのがインターハイの予選くらいにメッキが剥がれてきたという感じで試合に出られなくなりました。

杉岡選手がサッカーを始めたのは、幼稚園の頃。お兄さんが楽しそうにサッカーをやっていたことに影響を受けたそうです。自分自身も始めた当初からサッカーの楽しさにハマり、時間を忘れるほど夢中になっていたと言います。小学校5年生の頃からは所属クラブとは別にFC東京のジュニアを対象にしたアドバンスクラスにも通い、サッカー漬けの日々を送っていました。そこで声がかかって中学はFC東京のJr.ユースへ進みます。

ジュニアユースからでも5人くらいしかユースに上がれないし、そこからプロになれるのは多くても1人か2人。中学の頃は、本当に下手だったんで、プロになりたいと口では言ってましたけど、本当になれるのかな?っていう感じでした。

Jクラブのアカデミーにいればプロ選手との接点も他のチームにいるよりも多くなります。ところが杉岡選手は、それでもプロを身近に感じられませんでした。Jr.ユースでの3年間は楽しく充実していたものの、自分は下手だという思いが消えることがないままユースへの昇格もならず、市立船橋高校へ進学します。転機はそこで訪れたのです。

市船という強い高校に行けたこともあって、ユースに上がれなかったことで落ち込むことはなかったです。それに今となっては、逆にユースに上がれていたらプロにはなれてなかったんじゃないかなと思うくらいなんで。

高校では、入学直後の6月頃から公式戦への出場機会を掴み、その後はコンスタントに出場を重ねていきました。

運も良かったと思います。監督も下級生をどんどん使ってくれる人だったし、上手いわけでもないのに左利きというのを重宝してくれました。

中学までのポジションはボランチ。守備も攻撃も好きで、特に攻撃面ではドリブルで持ち上がり、そのままクロスやシュートに持ち込む現在のスタイルは、この頃、そのベースができたようです。ところが、高校に入ってからすぐに、サイドバックやセンターバックといった、一列後ろに下がったポジションにコンバートされます。杉岡選手自身は、もともとポジションよりも試合出場を優先する考え方だったため、抵抗もなく、その理由を監督に尋ねることもありませんでした。実際のところ、最終ラインからのフィードが得意なあたり、朝岡隆蔵監督の意図が杉岡選手の左利きをより生かすことにあったことは容易に想像がつきます。

サイドとボランチでは違いましたけど、自分の中では違和感なく。どこでも試合に出られればいいという考えなんで、嫌な感じはなかったです。左利きというのは、中学までは意識したことはなかったんですけど、朝岡監督は、「いいキック持っているな」という感じで褒めてくれて。そこで初めて左利きは貴重なんだと感じました。今でも本当に左利きでよかったなって思っています。

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インターハイの予選までは順調に試合に出場し続けましたが県予選の決勝で敗れ、本戦への出場はかないませんでした。それと同時に杉岡選手自身も試合に出られなくなっていきます。でも、杉岡選手には思い当たることがありました。

自信がなかったんで、怯えながらやっていたというか。その時を乗り切るのに必死でしたね。1試合1試合、ミスをしないようにしよう、みたいな。

全国区の大会で常に上位に顔を出す高校の監督が試合に使う以上、レベルが低いプレーであるはずがありません。また、実力主義であればこそ、下級生が試合に出ることに異論を唱える選手はいなくても、実力が劣る選手が出ることに納得する選手はいません。実力で試合出場を掴んでいるはずなのに杉岡選手は、自信が持てないまま、その場しのぎでプレーをしている自覚がありました。そういうプレーは、ボールを失うことも多く、単純に1対1を抜かれるなど、ひどいときには失点につながったと感じています。

そういったことに自分で気がついて、8月くらいの練習試合から、自分を出そう、化粧しないでやってやろう、と決めてプレーするようにしました。そうしたらまた試合に出られるようになりました。

練習を重ねても、試合に出ても、自信が持てなかった杉岡選手。そうした自分を取り繕う気持ちを認めることでプレーに変化が表れ、プレーが変わることでミスの結果も変わったと言います。

ミスがポジティブになったというか。失点にも繋がらないし、そういう変化は出たと思います。人生のなかでのターニングポイントになりました。自分のなかで掴んだ感じがして、それからは自信を持ってできるようになりました。

気持ちの持ち方で結果が変わることを身をもって体験したことで、より前向きになったと言います。この後は、外されることなく試合に出場し、自信を得たことでプロへの道も見えてきたのです。

1本のパスを通すために、考える姿勢が成長に繋がった

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ここまでたくさんの指導者に教わってきましたが、それぞれの年代での指導が今に生きていることを感じています。

小学生の頃は、戦う気持ちみたいなことを教わりました。サッカーをやるうえでの基本だと思うんですけど、1対1で負けないとか、走るとか。そこは今の自分の武器だと思いますし、本当にベースになっています。

幼稚園から持ち上がったクラブにそのまま6年間在籍し、最終学年ではキャプテンも務めました。

その後加入したFC東京のJr.ユースは、Jクラブのアカデミーだけあって技術的なことを教わった実感があります。とはいえ、止める蹴るといった基礎的なことが身についたと思えたのは、高校生になってからだと言います。

FC東京のJr.ユースはレベルは高かったと思います。技術系の練習をやったので、ベースはできたと思いますけど、下手くそでした。ヘディングは自信もあったし、強かったと思いますけど、ビルドアップは全然できなくて。でもまぁ上がって攻撃に参加するのはその頃も好きでした。止める蹴るがしっかりできるようになったのは高校になってから、という感じです。

自分に自信を持つ拠り所となったのは、やはり練習です。プロになることがまだ雲をつかむような話にしか思えなかった頃から上手くなりたいという思いは強く、人よりもグラウンドに立つ時間は長かったと言います。

プロになるとかならないとか関係なく、居残り練習とかは変わらずやっていました。上手くなりたいと思っていたんで。

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プロへの道が見えてきたのは、高校2年生の頃。選手の数も多い強豪校で先輩たちを抑えて試合に出場する杉岡選手には注目も集まりました。自分自身も、先輩たちがプロになっていく状況に自分を重ね合わせて見て、ようやくプロになることが現実的な話であることを自覚し始めます。

市船では1年生から試合に出させてもらったことと、プロになる先輩がいることでそういうチームなんだと自覚できました。2年生で全国大会の決勝とかも行って、そのあたりから意識し始めました。

プロへの道が拓けたのは、高校を選んだから、と杉岡選手は言います。

ユースに上がっても、1年生から公式戦には出られなかったと思うので、プロになはれなかったと思います。公式戦に出られなかったら僕自身、成長はできなかったと思うから。試合に出させてもらったその経験が間違いなく成長させてくれた、と思っています。

相対的なアベレージが高いのが杉岡選手の特長。そうした隙の無さを身につけられたことこそ公式戦の経験だと杉岡選手は感じています。また、それができたのは、中学から積み重ねてきた、練習からの意識づけだという思いもあります。

この練習が特に自分を伸ばしたという記憶はあまりないですけど、“考えろ”というのは言われていました。1本のパスを通すためにはどうするのかとか。守備もそうですし。練習の1つ1つについて考える姿勢を持つようになって、高校で変われたと思います。でも、それはJr.ユースのコーチから言われて意識し始めたことだと思います。高校になってやっと自分のなかでわかった感じがありました。考えて練習に取り組むようになって、そこで成長できたかなと思います。

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また、高校時代には、自分の武器に気づくことできました。

やはり左利きというところ。あとは攻撃参加とボールを運んだりと行ったところ。この身長で左利きというのは武器だとよく言われるし、そこは生かしていかなきゃいけないなと思います。

これまでのサッカー人生を振り返ると、心に残る決断が2つあるといいます。

市船を選んだっていうのと、湘南を選んだっていうのは、自分の中で大きな決断だったかなと思います。

高校進学に際して選んだ市立船橋高校。ここでのサッカー経験が、プロへの道を拓きました。そしてプロ選手としてのスタートに選んだのは、湘南ベルマーレ。この選択は、果たしてどんなステップにつながるのでしょうか? まず狙うのは、東京オリンピックの代表です。

TOP画像 PHOTO BY NAOMI KONISHI


Jリーグ サッカー ベルマーレ 杉岡大暉