39歳モンゴルで叶えたプロの夢 横山雅哲選手に聞くモンゴルサッカー事情

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39歳モンゴルで叶えたプロの夢 横山雅哲選手に聞くモンゴルサッカー事情

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「プロサッカー選手になる」幼いころからの抱き続けた夢を、39歳で叶えた選手がいます。Jリーグ加入前のFC岐阜やコバルトーレ女川など地域リーグのチームで研鑽を重ね、サッカーを始めて33年目の今季、モンゴル1部リーグのゴヨFCとプロ契約した横山雅哲選手です。シーズンを終えて帰国した横山選手に、プロという夢を掴むまでの道のりと、モンゴルのサッカーの環境について話を聞きました。

ラストチャンスで開いたプロの扉

ーー最初に、これまでの横山選手のキャリアを簡単に教えてください。

7歳でサッカーを始めて、今年で33年目になります。高校でも、ルネス学園(専門学校)でも、ギリギリレギュラーで出場するレベルでしたが、ずっと「プロサッカー選手になる」という夢を持ち続けていました。ヴァリエンテ富山や東海リーグ時代のFC岐阜などでJリーグを目指してサッカーを続けてきましたが、プロになることは叶いませんでした。

ーーモンゴルのプロリーグにチャレンジしたきっかけを教えてください。

コバルトーレ女川を退団してから1年は、とにかくトライアウトに専念しようと考えていました。東南アジアの国にも問い合わせをしたのですが、39歳という年齢もあって良い返事をもらえず、最終的にモンゴルしかない状況でした。“これがダメだったら、サッカーをやめよう。”ラストチャンスという思いで、モンゴルのトライアウトに参加しました。

ーー最後のチャンスで、夢を掴んだのですね。

現地で5試合、プロチームの試合に出場しましたが、途中で主催者が姿を消してしまい、トライアウトを継続することができなくなってしまったんです。あきらめかけていたのですが、たまたまゴヨFC(GOYO FC)の試合を観に行ったときに、僕がスパイクを持っているのを見たチームマネージャーから「サッカーできるか」と声をかけられ、負傷した選手の代役として出場することになりました。その時のプレーが評価されて、帰国する1週間前にプロとして契約することができました。本当に劇的でしたね。

日本人選手は約15人。ホームグラウンドがなく、他チームの練習場を借用

ーーゴヨFCはどのようなチームですか?

ゴヨFCは2015年に創設された新しいチームで、2016年にモンゴルリーグの2部で優勝。2017年から1部に昇格し、10チーム中7位になり何とか残留することができました。

ーーモンゴルリーグのレベルはどのような印象でしたか?

よく聞かれるのですが、リーグ全体のレベルをお答えするのは難しいですね。Jリーグと比べると高くはないですが、すごく上手い選手や身体能力の高い選手もいます。外国人選手も多く、日本人も15名ほどいます。観客は多くても200〜300人。サッカーをする環境としては相当厳しかったです。

ーー環境が厳しいという点について、もう少し詳しく教えてください。

第一にグラウンドの数がとても少ないです。試合ができるグラウンドは、モンゴル国内にせいぜい2、3面だと思います。グラウンドも人工芝ばかり。冬はマイナス40度になるので、天然芝は育たないんでしょうね。
MFF(モンゴルサッカー連盟)と優勝したエルチム(ERCHIM FC)がグラウンドを持っていて、モンゴルリーグに所属しているチームは、そこで試合や練習をしていました。試合はセントラル形式での開催で、例えば、金曜に2試合、土曜日に2試合、日曜日に1試合といった形で開催されています。僕たちのチームは練習場がなかったので、エルチムの練習場を空いてる時間に使わせてもらっていました。グラウンドが使えない日は、草原で坂道ダッシュをしたりしていました。
お金のあるチームとないチームの差が激しく、待遇面でもかなり差があるように感じました。

1対1の勝負にこだわる国民性

ーー日本とモンゴルで、ご自身のプレーに違いはありましたか?

クロスにも自信があるし、本当はサイドバックとして、サイドからゲームを作りたかったんですけど、センターラインをしっかりさせたいというチームの方針もあり、センターバックでプレーすることが多かったですね。モンゴルは相撲や柔道、レスリングなど個人スポーツが盛んだからか、負けん気が強くて、1対1での勝負にこだわるんですよ。上手い選手ほどその傾向が強い。
切り替えの概念もあまりなく、自分がボールを取られても、他のエリアに運ばれたら、自分は関係ないというような感覚。ディフェンダーとしては難しいですね。いい意味で寛容になったかなと思います。

ーーチーム戦術の理解という点では、まだまだこれからという印象ですか?

戦術は難しいですね。モンゴル代表がドイツ人監督ということもあり、代表でようやくという感じです。代表から帰ってくるとちょっとプレー良くなっていたり、僕にサッカーの話を聞いてくるようになったりしましたね。

ーーモンゴルで驚いたことはありますか?

ウランバートルから400kmほど離れた場所に試合に行ったとき、交通事故に巻き込まれたのですが、賠償金の代わりに羊10頭を渡され、チームバスに羊を積んで帰ってきた時は「ウソでしょ」と思いましたね。

プロとしての歩みをとめたくない

ーーモンゴルリーグでプレーしてよかったと感じていますか?

色々と大変な面は多かったですが、プロとしてサッカーができることを楽しもうと思っていました。今までプロになるのは何万回も無理だと言われ続けてきて、今回まがいなりにも実現できたことは、自分にとって大きな1歩。人生が変わったというか、今回の経験がなければ、次へトライしようと思う気持ちも生まれなかったと思います。

ーー次の挑戦について聞かせてください。

来季はモンゴルになるか、日本か、どこか別の国になるか分かりませんが、一日でも、一時間でも長くプロとしてサッカーを続けたいです。モンゴルで踏み出した1歩。その歩みを止めたくはない。2歩目を踏み出すために、信じてやり続けたいです。

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