FIFAマスター辻翔子さんインタビュー サッカーを支える人の国際化を FIFAマスター辻翔子さんインタビュー【前編】

サッカーを支える人の国際化を FIFAマスター辻翔子さんインタビュー【前編】 SUPPORT

FIFAマスター辻翔子さんインタビュー サッカーを支える人の国際化を FIFAマスター辻翔子さんインタビュー【前編】

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日本サッカーは急速なレベルアップを遂げ、今では海外でもトップクラスのリーグやクラブへ移籍しプレーする日本人選手を見ることは珍しくなくなりました。一方で、サッカーをビジネスとして「支える」領域においては、日本のビジネスパーソンはまだ選手たちほどの存在感を発揮できていません。

この状況を変えるべく、国際的な舞台に飛び込んで学び、活躍しようとしている人たちがいます。元日本代表の宮本恒靖さんも入学したことで有名となったFIFAマスターを今年修了した辻翔子さんに、国際的な挑戦の舞台で学んだこと、日本人の活躍すべきポイントについて聞きました。
前編ではFIFAマスターでの生活の様子を詳細にお届けします。

「見る」「する」そして「支える」立場へ。辻さんのサッカーとの関わり


辻翔子さん

ー辻さんがサッカーに興味を持ったきっかけは何でしょうか?

小学3年生までオランダに住んでいたのですが、父がサッカー好きのためテレビでいつもサッカーが流れていました。当時私はそれほど興味がなかったのですが、1996年に帰国すると家のすぐ近くに三ツ沢球技場があり、父がよく連れて行ってくれたことでハマってしまって。両親と3人でいつも観戦していました。だから私のサッカーとの関わりは「見る」ことから始まったんです。
好きになった横浜マリノス(当時)にはスペイン人やアルゼンチン人の選手や監督が多く、スペイン語を話せたら彼らとコミュニケーションを取れるんだと、そんな単純な発想から小学6年生のときにスペイン語を勉強するようになりました。

ーサッカーを「する」ことはあったのでしょうか?

ずっとやりたかったものの、プレーできる環境がありませんでした。そこでオランダ時代も含めて中学3年生までテニスとバスケをずっとやっていました。
高校でサッカー部に入ったのですが、大会には年1回しか出場しなくてあまり本格的ではなかったですね。サッカーをもう少しやりたいという気持ちがありつつ早稲田大学スポーツ科学部に入学したのですが、ア式蹴球部女子(早稲田大学女子サッカー部)はとても強く、入部は無理だと当初は思っていました。でも、セレクションがなかったんです(笑)。当時のキャプテンも「サッカーが上手くなりたい気持ちがあれば誰でも入れるよ」と勧誘してくれて、気付いたら入部していました。

ー卒業後はスペインへ渡り、マドリードの大学院、そして現地のコーディネート会社に就職されたんですよね?

大学の4年間は部活漬けで履修できない授業が多かったので、もっと勉強したいという気持ちがずっとありました。また、4年生のときに受講したスポーツジャーナリズム論という講座がきっかけとなって、サッカーを伝えることに興味を持ち、マドリードにあるスポーツジャーナリズムを学ぶ大学院に入学しました。スペイン語で勉強ができる上、レアル・マドリードと提携しているのが魅力で、ドキュメンタリー番組を制作したり、実際にレアル・マドリードのミックスゾーンで取材したりなどとても実践的な大学院でした。
当初は1年で日本に帰ろうと考えていたのですが、バルセロナへ旅行したときにサッカー関連の取材や中継のコーディネートを数多く手がけている会社を見つけ、そこに入社することができました。私は日本メディア向けにリーガの選手や監督にインタビューしたり、ドキュメンタリー番組の現地コーディネートを行ったり、クラシコのときはスタジアムから現地中継のサポートをしたりしていました。

ー印象に残っている仕事はありますか?

フォルランのドキュメンタリーを制作したときにウルグアイに初めて行かせてもらい、小さい頃に大好きだったレコバという選手にインタビューしたことです。現地に着いて空港からホテルまでタクシーで向かっていると、運転手さんがなぜウルグアイに来たのか話しかけてきて、「フォルランの番組を作りに来たの」と答えたら、「俺の息子もサッカー選手なんだよ」「何という選手ですか?」「レコバ」って(笑)。
その後、信号で停まっていたら違うタクシーが近づいてきて、「後ろの女の子はどこから来たの?」ってレコバのお父さんに仲良く話しかけてきたんですね。「この子はバルセロナから来たばかりなんだよ」「そうか、俺の息子も今バルセロナにいるんだ」という会話で、私はそうなんですかーって反応して別れたんですよ。そしたらレコバのお父さんが「今のはルイス・スアレスのお父さんだよ」って(笑)。ウルグアイってなんて狭いの!と感じましたね。

「国際的」な視野を広げるために挑戦したFIFAマスター。


レスター・シティのロッカールームにて

ーFIFAマスターへ挑戦しようと思ったきっかけを教えて下さい。

早稲田大学の在学中に石井昌幸先生から紹介を受け、FIFAマスターのキャンパスのひとつであるドモンフォート大学(レスター)に下見も行ったのですが、3年以上の社会人経験が必要だったこともあり、まずはスペインで経験を積むことにしました。ただずっと頭の中にはFIFAマスターのことがありました。バルセロナではネットワークや知識も広がり、本当に良い経験をさせてもらいましたが、クラシコ中継で宮本さんと働かせていただき、FIFAマスターをやって本当に良かったとおっしゃっていたので挑戦を決意しました。

ーFIFAマスターにはどのようにすれば入れるのでしょうか?

まずは推薦状を2通、英語はTOEFL100点以上の成績、それと高校と大学の成績証明書を取り寄せる必要があります。久しぶりに高校の成績を見ましたね。あとは短い小論文を複数提出します。志望動機や、もし合格しなかったときのプランは何かなどを300字程度に簡潔にまとめる必要があります。それらを提出して50名くらいに絞られた後、最後にスカイプ面接、という流れでした。

ー選考では何が重視されていると感じましたか?

バランス良く人を選んでいると感じましたね。例えば全員がメディア関係者だと、議論するときに多様な意見が得られないので、全体のバランスを見ていたのがすごく伝わりました。私のクラスも元サッカー選手から会計士、弁護士など色々なバックグラウンドの人がいました。
また、サッカー以外のことにも興味あるかどうかも重要視されている気がします。私はサッカー以外にもテニスやバスケなどにも触れていたので、そのような質問を聞かれることはなかったのですが、「サッカーが好きなのは十分伝わったけど、サッカー以外に何に興味があるの?」と聞かれて困ったと話すクラスメートや卒業生が結構いました。

ークラスメイトと会ってみての印象はどうでしたか?

数ヶ月前にクラスメートの名前が発表されて、事前にFacebookグループもできていたんです。そこで毎日のようにコミュニケーションを取ったり、会える人には個別に会ったりしていたので、初めてという感じはあまりしませんでした。元マンチェスターユナイテッドのパク・チソンさんを始め、みんな経歴はすごかったのですが、平均年齢は27、8歳くらいで私とほぼ変わらないこともあって、馴染みやすかったですね。

覚悟を持って入学する仲間との濃密な日々。


FIFAマスターのクラス集合写真。前列左から4番目が辻さん。

ー1日の授業スケジュールを教えてください

平日は9時から17時半まで1コマ90分の授業があり、間に昼休みが1時間半から2時間くらいあります。レスターは比較的時間に余裕があったのですが、ミラノやヌーシャテルでは予定が詰まっていて、学期毎に時間割はやや異なりました(FIFAマスターは3学期で構成され、イギリス・レスター、イタリア・ミラノ、スイス・ヌーシャテルにそれぞれ3〜4ヶ月ずつ滞在する)。レスターでは授業間にコーヒーブレイクとして30分間もあり時間を持て余していましたが。ヌーシャテルでは10分しか休憩がなく、しかもスイスらしく時間丁度に始まるので大変でした(笑)。

ー授業についていくのは大変でしたか?

大学の授業や卒業論文などとは違う大変さがあると思いました。課題が多いというわけではないのですが、きちんと授業に参加して学ぶためには、授業中は常に気を抜かず能動的に授業を受ける必要があります。私はゲストスピーカーが来たら必ず質問しようと決めていたので、何を聞こうか考えながら集中して授業を受けていました。クラスメイトも自分の家族と離れて来ていたり、仕事を辞めたり、何かしらを犠牲にして来ていたので、みんな時間を無駄にしないという意欲があり、授業への姿勢はとても良かったですね。

ー授業はどのように行われるのでしょう?

先生によって講義中心かディスカッション形式か大きく違ったのですが、質問はいつでもして良かったので講義中にも多く手が上がって、ディスカッションに移行するようなことは多かったです。たとえばユーゴスラビアのサッカー史の講義では私たちが知らないことが多かったため先生が主導権を握って一方的に話すような展開になりましたが、「スポーツとは何か?」などオープンなテーマについては先生も生徒の意見を積極的に聞き出していました。

ーゲストスピーカーが来ることも多いそうですが、強く印象に残っている方はいますか?

UEFAから来てくれたゲストスピーカーがクラブライセンス制度の責任者でした。最近ネイマールがPSGに移籍したときにフィナンシャル・フェアプレーに引っかかっているのかとても議論されていましたが、その方が必ずUEFA代表としてメディアに登場していて、すごい人が来てくれていたんだなと再確認しましたね。

ー休日はどのように過ごしていましたか?

やはりスポーツすることが多く、よくみんなでフットサルやサッカーをしました。毎回ケガ人が出るくらい激しくて、どんどん参加人数が減っていきました(笑)。元選手が5人いたのでレベルもとても高かったです。サッカー経験がない人も多くいましたが、元選手が5人いる中でレベルアップして、最終的には女性陣もすごく上手くなっていました。
ミラノでは授業にインテル副会長のサネッティが来てくれたことがあったのですが、授業後に試合したいと挑戦状を出したらインテル施設でFIFAマスターvsサネッティ・フレンズを企画してくれました。試合には2−4で負けてしまいましたが、すごく良い思い出になりました。サネッティもいきなり選手から副会長になったので、ビジネスの勉強をするために私たちと同じミラノのボッコーニ大学で授業を受けていたみたいです。


休日はよくサッカーをプレー。

後編(11/13公開予定)に続く

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