日立から日本全国の球技へ、その名も「パンポン」!

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日立から日本全国の球技へ、その名も「パンポン」!

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パンポン紹介動画(YouTubeより)

What’s パンポン?

日本を代表する大企業、日立製作所。茨城県日立市の同社工場で、大正時代に発祥した幻のスポーツをご存知でしょうか。

今から約100年前、日立製作所の工場では昼休みにキャッチボールが行われていました。ところが窓ガラスが割れることを理由に、昼休みのキャッチボールが禁止に。そこで、当時の社員が廃材である木箱のフタとゴムボールを使って打ち合う遊びをし始めました。それがパンポンの始まりです。「パン」と打って「ポン」と弾むことから、昭和4年に当時の工場長が「パンポン」と名付けました。

現在はルールが整備され、昼食時の工場内や市内小学校、体育館など日立市を代表する球技となっています。

パンポンのルールはテニスや卓球と良く似ており、ネットを挟んで専用ラケットでボールをダイレクトで打ち合います。1セット4点先取3セットマッチの気の抜けないスピーディーな展開が魅力。シングルスだけでなくダブルス、混合ダブルスなどもあり、日立市内の老若男女に愛されているのです。

やはりラケットを扱う競技を経験していた人が強いと言われるパンポン。4点先取であっという間に勝負が決まるので、本番で力が発揮できるというメンタルの強さも問われてきます。

パンポン界のレジェンドと呼ばれるのは、日立製作所社員の加藤康広さん。平成3年からパンポンを始め、その魅力にハマっていきました。ラケットも自身で作成し、競技者最高峰といわれる日立グループの大会や日立市主催の大会で何度も優勝をしています。

強烈なスピンなど、いくつもの神業を持つ加藤さん。

強烈なスピンなど、いくつもの神業を持つ加藤さん。

お昼の「遊び」が市を代表する「球技」へ

一会社員がキャッチボールの代わりにと生み出したパンポンが、なぜ行政を巻き込んでここまで発展したのでしょうか。
 
理由の一つは誰でも手軽にできること。パンポンのコートは長さ7m、幅2.5mなので、このスペースさえあればコートは確保できます。ラケットも板きれがあればOKです。日立市内ではこの球技を小学校の行事やクラブで積極的に取り入れていき、子どもたちの身近なスポーツとなったのです。

また、簡単にできるのと同時に、ハードで奥が深いのも魅力なのです。パンポンのネットの高さは地上40cm。テニスのネットの高さは約1mなので、地面スレスレで打ち合うことになります。そのため試合後半には下半身にぐっと負荷がかかります。

長さ30cm、幅20cm、厚さ1cm前後のラケットは、規定で「形状を故意に変形してはならない」とあります。しかし、地面スレスレのボールを打ち合うことでラケットの先が丸く削れていくのです。先の丸い長年使用ラケットは、熟練者の証です。
 
このような魅力と厳密なルールがあったからこそ、「遊び」かられっきとした「球技」として発展したのです。

日本全国で「パン」「ポン」が聞ける日は?

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日立市で毎年開催されている市民参加型の日立市パンポン大会は、今年で37回目となります。日立製作所とともにパンポンの普及に努める公益財団法人日立市体育協会は「市外はもちろん、県外の地域団体へも積極的に広めていき、日立市パンポン大会を全国大会にしたい」と話しています。

全国にある日立製作所の各事業所では広まりを見せつつあるパンポン。今後、どのように普及していくのでしょうか。

来たる2019年の茨城国体。日立市のデモンストレーションスポーツは、パンポンです。

パンポン