米独立リーグからメジャーリーグへの挑戦を続ける安田裕希選手

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米独立リーグからメジャーリーグへの挑戦を続ける安田裕希選手

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全米屈指のスカウトリーグとして知られるカリフォルニア・ウィンターリーグ(CWL)は2010年に始まり、今年で10年目を迎えました。カリフォルニア州・パームスプリングで行われるこのリーグにはメジャーリーグ傘下組織や独立リーグでのプレイを望む200~250人のプロ野球志望選手達が集まり、10~12チームに分かれて、1カ月間に渡るリーグ戦を行います。

CWLには日本人選手も数多く挑戦します。2019年はついに1人を除いて全員が日本人というチームが形成されました。その日本人チームと呼ぶべきワシントン・ブルーソックスの監督としてチームの指揮を執るのが28歳の安田裕希氏です。

安田氏自身もかつてCWLで選手として参加した経験があります。その後はアメリカとオーストラリアでいくつかの独立リーグを経て、昨年度は米国最高レベルの独立リーグと呼ばれるアトランティック・リーグに移籍した現役の選手です。

アトランティック・リーグでは所属する選手の多くがメジャーリーグや3Aなどの経験者で占められます。昨シーズン安田氏以外の日本人選手としては、元横浜DeNAベイスターズの久保康友投手がいました。

過去に所属した日本人選手の名を挙げると、元メジャーリーガーのマック鈴木氏と大家友和氏、日本プロ野球からも仁志敏久氏、田中一徳氏、坪井智哉氏、渡辺俊介氏と錚々たる名前が続きます。

日本プロ野球を経ずに挑むメジャーリーガーへの道

彼らと違い、安田選手には日本でプロ野球の経験はありません。それどころか、高校時代は甲子園に出場したこともなく、大学では体育会野球部に入部さえしませんでした。

筆者が知る限り、かって日本プロ野球を経ずにメジャーリーグに登りつめた日本人選手としてはマック鈴木氏がいます。安田選手はその鈴木氏よりさらに困難とも言える道を歩んでいます。

鈴木氏は16歳で渡米して団野村氏が当時経営していたマイナーリーグのチームに所属しましたが、安田選手の初渡米は21歳のとき。独立リーグから始めるどころか、その独立リーグとの契約をスカウトリーグで勝ち取るところから野球選手としてのキャリアを自らの手で切り開いてきたのです。かってない挑戦を続ける安田選手に話を聞きました。

最初の挫折

プロ野球選手になることは安田選手の子供の頃からの夢でした。小学6年生時には既に身長が165センチあったという安田少年は運動能力にも優れていました。小学1年生から少年野球を始め、中学校の軟式野球部でも常にチームの中心選手であり続けました。いわゆる「エースで4番」のタイプです。

順風満帆とも呼べる安田少年の野球生活でしたが、進学した桜丘高校では壁が待ち受けていました。早熟型だった安田少年の体は成長が止まり(現在の身長は173センチ)、周囲との差が縮まるか、逆に追い抜かれてしまうことが多くなったのです。


173センチの安田選手は米国野球ではチーム内で最も身長が低い選手になることが多い。

体格のアドバンテージが消えても、安田選手は2年生でレギュラーの座を勝ち取ります。毎日繰り返される厳しい練習にも一生懸命に励んでいたのですが、どこかで野球への熱意が下がってきていることを感じていました。子供の頃から野球一筋で他のスポーツをしたことがなく、一種の燃え尽き症候群だったのかもしれません。

今から考えるとそんなわけはないのですが、これが自分の限界かなって思ってしまったんですよね。これ以上野球が上手くなる気がしなかった。だから高校野球の最後の方は野球をすることが楽しくなくなっていました。

高校3年生の夏の県予選で高校野球が終了すると、安田選手はあれほど好きだった野球から離れます。スポーツ推薦の話もありましたが、それを断り、一般入試で法政大学に進学すると、本人が言うところの「普通の大学生活」を送ることになりました。

恩師との出会い

一度は野球をやめたつもりの安田選手でしたが、すぐに自分はやはり野球が好きなんだということに気がつきました。大学の準硬式野球部でプレイを再開するとともに、母校桜丘高校野球部の練習を手伝いに通い始めたのです。

桜丘高校の李剛(りつよし)監督(当時)は、安田選手に大学でも野球を続けることを熱心に勧めました。そのときはアドバイスに順わなかった安田選手ですが、李監督の熱意溢れる指導にはとても感謝をしていて、今でも時々の挨拶を欠かさないそうです。

厳しかったけど、すごく熱い先生なんです。昭和っぽいとでも言うのでしょうか。野球以外でも色々教わりました。

李監督を慕って野球のグラウンドに戻ったことが、安田選手の人生に大きな影響を与えたもう1人の恩師との出会いにもつながりました。李監督の知人のさらに知人というか細い縁ながらも、三好貴士氏に紹介されたのです。

三好氏もまた日本プロ野球を経験せず、単身でアメリカに渡り、独立リーグのコーチ・監督を経て、昨年度はついにメジャーリーグのミネソタ・ツインズ傘下のチームでコーチとして迎えられた人物です。安田選手は三好氏に出会ったときにかけられた一言が忘れられないと言います。

初対面でいきなり、「もったいないなあ」と言われたんです、と安田選手は苦笑します。三好氏の言葉はさらに続きました。

まだ19歳だろ。体動くんだろ。それで野球諦めちゃうの?夢はないの?

安田選手の中に眠っていた野球選手になる夢はこれで火がつき、三好氏の勧める米国でのスカウトリーグに挑戦する決意を固めました。それが前述のカリフォルニア・ウィンターリーグ(CWL)です。

解雇も野宿も経験済み

2012年のCWLに21歳で初挑戦した安田選手は自分でも驚くほどの好成績を残し、初年度から独立リーグであるペコス・リーグとの契約を勝ち取ります。大学の同級生たちが就職活動にいそしんでいた頃です。

同年の5月~7月に行われるペコス・リーグに参加するため、予定していた教育実習を断って再渡米し、プロ野球選手としての第1歩を踏み出しました。しかし、その後の道程はけっして平坦ではありませんでした。

大学を卒業して独立リーグに再挑戦した翌2013年には、春季キャンプ3日目に解雇されるという試練が待ち受けていました。安田選手はその後はアメリカに留まり、他の独立リーグのチームへ飛び込みでトライアウトに臨みました。3週間の間は泊まるところもなく、深夜バスの車中泊やバス停で寝る毎日だったそうです。そのときの経験があるから、長距離バスでの遠征が苦にならないと笑います。


このように過酷な状況に陥っても、安田選手は高校時代とは違い、野球を諦める気にはなりませんでした。

ここで辞めたらもったいないと思ったんです。アメリカの野球を経験して、自分でも野球が上手くなってきている実感があって、ここで踏ん張ったらまた毎日野球が出来るようになるって思っていました。

この年はセミプロが集まるサマーリーグ、翌2014年はペコスリーグでプレイしたプロ野球選手としての最初の3年間を安田選手自身は苦しかった時期だったと振り返ります。

さらに上を目指す

やや道が開けてきたのが4年目の2015年です。この年から3年連続でパシフィック・アソシエーション・リーグのソノマ・ストンパーズに所属し、ほぼシーズンを通して出場機会を得ました。そして昨年2018年シーズンは同リーグのシーズン終了後に、前述のアトランティック・リーグへの移籍が実現したのです。

アトランティック・リーグではシーズン終盤の2週間で7試合の出場に終わり、16打数3安打と安田選手自身も満足できる結果は残せなかったと言いますが、同時にこのレベルにも適応できる、しなくてはいけないという手応えを掴んだシーズンになりました。

CWL選手達に混じって試合前のノックを受ける安田氏

このインタビューをした2月中旬時点で、安田選手の今シーズンの所属先はまだ決まっていません。CWLで監督として若い選手を指導する一方で、自身のトレーニングも行っています。毎日朝から晩までグラウンドにいて楽しいと笑う安田選手は、いつでも野球シーズンに入ることができるように心身のコンディションを保つことが重要だと考えています。

安田選手はインタビューの間、終始穏やかな表情を浮かべて、静かな口調で質問に応えてくれました。筆者には過酷としか思えない体験について話してくれるときもそれは変わりませんでした。

それどころか、「僕は本当に人に恵まれているんです」と何回も口にするのが印象的でした。常に周囲への感謝を忘れずに、決して自分を大きく見せようとしない安田選手に誰もが好感を抱くでしょう。今シーズンかそれ以降になるのかわかりませんが、安田選手の夢が実現することを願ってやみません。



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