フェンシング協会が代表選考に『英語検定』を導入したわけ
WATCHフェンシング協会が代表選考に『英語検定』を導入したわけ
2019年4月25日、日本フェンシング協会会長の太田雄貴氏は、日本代表の選考会に英語検定を導入することを正式に発表しました。
これは2021年以降、フェンシングで日本代表になるための条件として、ベネッセが運営する英語検定試験『GTEC(ジーテック)』で一定の基準(英検準2級相当)をクリアしなければならないというものです。
この発表に、ネット上では肯定的な意見がある一方、否定的な意見も散見しました。その中でも特に目立ったのが「スポーツを片手間でしていながら英語の勉強などできるはずがない」という意見です。
実は筆者もそう思っていた一人で、長年フェンシングに携わり、業界経験が長い身としては、練習に専念したい人間に、英語の勉強を強要することはおかしな話だと思っていたのです。
しかし、2019年6月14日に行われた、太田氏がスペシャルゲストとして登壇したトークセッション「スポーツキャリアフォーラム by doda」に参加した際、何故それほどまでに英語にこだわるのか、分かった気がしました。
今回は太田氏が何故、英語検定導入に踏み切ったのかを、フェンシング選手の目線から紹介していきます。
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なぜフェンシングに英語が必要なのか?
まず結論から言うと、太田雄貴氏が英語検定導入に踏み切ったのは、2つの理由があります。
1つは、”審判とやりとりし、試合を有利に運ぶため”、もう1つは、”フェンシングを引退した後も、英語を話せることでビジネスの世界でも活躍してほしいから”です。
それぞれ説明していきましょう。
■試合で審判と英語でやりとりできることの重要性
フェンシングの試合では、対戦相手と同じくらい、審判との駆け引きが発生します。時には審判との駆け引きが元で、試合が決着することがあるため、審判とのやりとりが重要視されています。
特に太田氏が現役時代に専門としていたフルーレ*¹では、審判の判定によって、勝敗が変わることも珍しくないため、選手は審判の判断に不服があった場合、その場で自分が勝っていることをアピールしなければなりません。
*¹ フェンシングには、「フルーレ」、「エペ」、「サーブル」という3種目に分かれている。太田会長がオリンピックでメダルを獲得したのは、「フルーレ」という種目。
こんなエピソードがあります。2008年、太田氏が日本人初の銀メダルを獲得した北京オリンピックの時のこと。
当時、3回戦進出を果たした太田氏は試練を迎えていました。これまでに5回対戦して、1度も勝ったことがない世界王者のペーター・ヨピッヒ選手と対戦することになったのです。
試合は15本先にとった方が勝利するルール。終盤、太田氏は14-12でリードし、あと1点とれば勝ちというところまで、きていました。
しかしヨピッヒ選手の攻撃が決まり、14-13と1点差にまで迫られてしまいます。
その時、太田氏の専属コーチだったオレグ・マツェイチュク氏が、ヨピッヒ選手の反則行為を見逃さず、太田氏に審判へ指摘するよう指示しました。結果、ヨピッヒ選手は罰則を受け、太田氏の勝利が確定したのです。
オリンピックという大舞台で、審判と英語でやり取りできたからこそ、得られた勝利とも言えます。
もしこの時、太田氏側が審判とやりとりできなかったら、最悪、北京での銀メダルも露と消えていたかもしれません。それほどまでに、審判との駆け引きは重要ということです。
講演の中で太田氏は次のようにに話しました。
フェンシングというのは、現役時代に勝った数が多い方が選択肢が増え、より人生が豊かになるんです。その現役時代をより輝かせるために、まずフェンシングで勝ってほしいわけですね。勝つために何が必要なのかというと、審判との駆け引きというのが凄くあるんですよ。対戦相手に勝つ以上に、不服な時に審判に自分からアピールしにいかなければいけない。審判とのコミュニケーションをする時に日本語しかできなかったら、抗議ができないわけです。もっと言うと、色んな海外の選手とのコミュニケーションも、英語が無いといけません。事実、英語力と選手の競技結果というのは連動しているんです。
北京オリンピックの経験も含め、長年世界の強豪と戦ってきた太田氏だからこそ、語学の重要性が身にしみているのでしょう。
そのための環境作りとして、日本フェンシング協会では、協会負担でトップ選手200名を対象に無料で英語を学ぶ機会を提供しています。
ここだけ見ても、協会、そして太田氏の本気度が伺えます。
語学の導入は今後、フェンシング日本代表の強化に必要不可欠なものとなっていくでしょう。
■フェンシングを引退しても、英語がある“強み”
太田氏が語学を重要視するもう1つの理由が、「フェンシングを引退した後もビジネスの世界で活躍してほしい」というものです。
これは、フェンシングを引退した後も役立つスキルを、現役の時に身につけてほしいと、考えられたものです。
多くのアスリートが、競技を引退した後のキャリア構築に苦労している現状があります。スポーツに深く関わってきたことで、スポーツ以外に目を向けるのが難しいばかりか、社会で使えるスキルを持ち合わせていないことが多いからです。
しかし、グローバル化が進む現代社会では、英語が話せる人材はそれだけで重宝されます。英語が万能というわけではありませんが、少なくともキャリアを気づくための”武器”にはなり得ます。
だからこそ、太田氏もフェンシング選手の語学取得に力を入れているのです。
これについて講演の中で太田氏は次のように言っていました。
日本フェンシング協会では、”Athlete Future First(アスリートの未来を考える)”というビジョンを掲げています。私たちは選手たちを大切な人材と捉えています。そういった選手たちに今後どういったキャリアを歩んで行ってほしいのかということを、大前提に考えて、教育という面でも手を抜かずにやっていきたいんです。
教育という面で言えば、フェンシングを引退した後のキャリアが思い描ければ、子供をもつ親御さんもフェンシングを習わせたがるかもしれません。
アスリートを引退した後の”セカンドキャリア”を考えるということは、”Future(未来)”のフェンサーたちの活躍にも繋がっていくことになります。
そうした取り組みが、フェンシング界の活性化に繋がっていくのでしょう。
アスリートの未来を考える競技に
全てのスポーツに言えることかもしれませんが、アスリートが新たな取り組みをするときの最終目標は”試合で勝つこと”であって、引退した後のことまでは考えていません。
しかし、今回太田氏が導入した英語検定試験『GTEC(ジーテック)』は、審判と駆け引きすることによって、試合で”勝つため”に使うのはもちろんのこと、競技を引退した後も、ビジネスの世界で英語を活かせるようにするところまで考えられているのです。
今年5月に出された記事で、太田氏はこう言っています。
アスリートの未来を考えない競技は、いずれ多くの人に選んでもらえず、衰退していく。参照元:https://number.bunshun.jp/articles/-/839528?page=5
今はまだ抵抗があるかもしれませんが、もしかすると数年後には「フェンシングはグローバルなスポーツなんだ」という感覚が当たり前のものになっているかもしれません。
そうすればフェンシングが、スポーツだけではなく、将来のキャリアにも役立つ競技として認知してもらうことも不可能ではないはず。
中世ヨーロッパで育まれたフェンシング、そのスキルを身につけた日本人が、ビジネスマンとしても海外で活躍する未来は、そう遠い話ではないのかもしれません。