サッカー観戦の醍醐味を堪能できる良質なスタジアムは、未来の選手を育てる
SUPPORTサッカー観戦の醍醐味を堪能できる良質なスタジアムは、未来の選手を育てる
ガンバ大阪のホームグラウンドとして新たに誕生した市立吹田サッカースタジアム。2016年2月にこけら落としマッチを開催して以来、チームを越えて、数多くのサッカーファンから「客席がピッチに近い」「どの席からも見やすい」と高く評価され、関係者からは「画期的」と賞賛されています。その理由について、ガンバ大阪の長谷川監督、遠藤選手に直接うかがうとともに、サポーターの皆さん200人にアンケートに答えていただき、今後の専用スタジアムのあるべき姿を探ります。
市立吹田サッカースタジアム ガンバ大阪 長谷川健太監督、遠藤保仁選手
サッカーファンが待ち望んだ専用スタジアム
大阪モノレール・万博記念公園駅からまっすぐ南へ、陸橋が伸びる。大阪万博のシンボル「太陽の塔」に背中を押されるように長い階段を上りきると、左に開けた視界には、吹田市の新しいシンボルとなったもう一つのユニークな建造物が現れる。市立吹田サッカースタジアムだ。
市立吹田サッカースタジアムは2015年9月30日に竣工、2016年2月14日にこけら落としマッチを開催して以来、ここをホームグラウンドとするガンバ大阪のサポーターのみならず、全国のサッカーファンおよび関係者から「画期的だ」と賞賛されている。
ファンの心をつかんだ最大の理由は、「客席がピッチに近い」「どの席からも見やすい」というサッカー観戦の醍醐味を堪能できる構造にある。サポーター200人にアンケート調査を実施したところ、実に91.5%の人が「客席がピッチに近いこと」を市立吹田サッカースタジアムの魅力に挙げた。
「近い」を実現できたのは、言うまでもなくサッカー専用スタジアムだからこそ。客席最前列からタッチラインまではわずか7メートル。同じくサッカー専用スタジアムである埼玉スタジアム2002の14メートルと比較してもその近さは一目瞭然だ。
「だいぶ近いですね。これだけ近くに感じるスタジアムは、他にないでしょう。最前列に座っている方には、われわれがベンチで話している声もたぶん聞こえているでしょう」
ガンバ大阪の長谷川健太監督は多少苦笑いを浮かべながら、現役時代を含めて体験したことのない距離感について率直に語る。監督たちが座るベンチは、観客席の一部をくり抜くように設置されている。言い換えれば、ベンチと同じ近さに客席が迫るのが、市立吹田サッカースタジアムの特徴だということ。最前列に席を取れば、ベンチからの指示や選手がボールを蹴る音が耳に届き、選手が駆け抜けた後には芝生の下の土の匂いも鼻を刺激する。
同じくガンバ大阪の中心プレーヤーである遠藤保仁選手は、
「このスタジアムの一番の特徴は、フィールドとお客さんが近いこと。そしてスタンド四面に屋根があるおかげで声援が外に逃げないこと。お客さんの声が僕たち選手に覆いかぶさってくるような感じです」
と印象を語る。選手が感じる迫力も、ヨーロッパのサッカースタジアムに匹敵する。
一方、最も遠い席(上層スタンドの最後列)から試合を眺めてみても、やはり他のスタジアムより圧倒的にピッチが近くて見やすい。まるでゲームの画面や、作戦指示用のホワイトボードを見るように、ピッチ全体を真上からのぞき込むような感覚になる。
「以前ここで見た人が言ってましたよ。『パスが通る道筋が見える』って」(遠藤選手)
「ボールの動きを目で追うだけじゃなく、ボールを持っていない選手がどう動いているかに興味を持つ人にとって、ここの上層スタンドは素晴らしい場所だと思います」(長谷川監督)
市立吹田サッカースタジアムの収容人数は4万人だが、同規模のスタジアムと比較すると建築面積が2〜3割少なく、建物全体がかなり凝縮されている。ピッチを中心に密度の高い構造であるからこそ、「どの席からも見やすい」という最高の観戦環境が整えられた。
日本初、寄付金・助成金によって建てられたスタジアム
「観戦者ファースト」とも呼べるサッカー専用スタジアムとして生まれた市立吹田サッカースタジアムは、寄付金や助成金によって作られ、税金は一切投入されていない。建設費約140億8,567万円の大半は、企業や個人からの寄付によって集められた。
「みんなの寄付金でつくる日本初のスタジアム」を合言葉に掲げ、資金集めの窓口となったのは財界やサッカー界、ガンバ大阪などで作った任意団体「スタジアム建設募金団体」だ。法人・個人に向けて大々的に寄付金を募るという前例のないプロジェクトに踏み切ると、2012年〜2015年の約3年間で、721社の法人から99億以上、3万4627人の個人から6億以上、計105億円を超える寄付金が寄せられた。またスポーツくじ(toto・BIG)から30億円、国土交通省、環境省から計約5億円の助成金、あわせて約35億円の助成金が交付され、当初の目標であった140億円を上回る予算を得ることとなった。
なお、寄付者の中には、ガンバ大阪に所属する現役選手も多数含まれているという。5万円以上寄付した法人、個人の名前は、場内コンコースに掲出されている。
4万人規模の本格的なスタジアムが、約140億円という「格安」な費用で建設できたことも、極めて異例だ。発注者である「スタジアム建設募金団体」が、設計者、施工者と協議を重ね、コスト管理に知恵を絞ったからこそ実現できた数字だ。
スポーツくじ(toto・BIG)が果たした役割
市立吹田サッカースタジアムの建設にかかった総事業費約140億円のうち30億円は、「スポーツ振興くじ助成金」が活用された。独立行政法人日本スポーツ振興センターは、スポーツくじ(toto・BIG)の売上により得られる収益をもとに、全国各地の自治体およびスポーツ団体が行うスポーツの振興を目的とする事業に対して助成を行っている。
市立吹田サッカースタジアムは「スポーツ振興くじ助成」における「大規模スポーツ施設整備助成」の対象として、吹田市に30億円が交付された。
税金に一切頼らず、寄付金や助成金を中心に建てられた市立吹田サッカースタジアムだが、建設に携わったスタジアム建設募金団体、管理運営を担うガンバ大阪、そして吹田市の三者は強固な連携で結ばれている。
2015年9月30日、市立吹田サッカースタジアムは竣工と同時にスタジアム建設募金団体から吹田市に寄贈され、「市立」の名を冠する公共施設となった。さらに吹田市は、株式会社ガンバ大阪をスタジアムの指定管理者に指名。ガンバ大阪は2063年3月までの約48年間という長期間にわたってスタジアムの運営管理を担う役割を与えられた。
つまり、スタジアム建設募金団体が「サッカー専用スタジアムで見たい」というサポーターの夢を形にし、ガンバ大阪がサッカーの専門家として実際の管理運営に当たり、そして吹田市が、その施設をサッカー関係者に限らず地域のシンボルとして所有するという関係だ。三者それぞれが社会に果たすべき使命は明確で、またお互いにメリットも享受しあえる。このような公と民の関係は、スポーツ界のみならず「まちづくり」の観点からも画期的なモデルとして注目を集めるに至った。
長谷川監督、遠藤保仁選手が語る市立吹田サッカースタジアムの魅力
市立吹田サッカースタジアムを舞台に、卓越したパフォーマンスを披露するガンバ大阪の、長谷川健太監督と遠藤保仁選手にあらためて施設の印象をうかがった。
「自ら寄付金を出したという選手もいますし、たくさんの寄付金を出していただいたサポーターの方も大勢いらっしゃることと思います。やっぱり自分たちのお金でできたスタジアムということで、まさしく『ホームスタジアム』として愛着も大いに湧くでしょう。選手たちもそういう気概を背負ってプレーしています。
市立吹田サッカースタジアムはまだ完成して2年目ですが、これから何世代もの歴史を重ねることによって地域にサッカー文化、スポーツ文化というものが根付いていくことを期待します。市立吹田サッカースタジアムでサッカーを見た少年少女が、将来は自分もここでプレーしたい、あるいは親になってから子どもにここでプレーさせたいと思えるような場所に、これからなっていってほしいと思います。また、多くの方にそう思わせるような試合を、われわれがしていかなければなりません」(長谷川監督)
「ガンバの選手だけでなく、対戦相手の選手も市立吹田サッカースタジアムの雰囲気を気に入ってくれているようです。特にホームがサッカー専用スタジアムじゃないクラブの選手は、このピッチに立つ喜びを感じるようです。そういう選手はガンバ戦にはモチベーションも高めて臨んでくるでしょうね(笑)。
ガンバ大阪は結構Jリーグのタイトルを取っていますけれど、ホームで優勝を決めたことってあまりないんです。この市立吹田サッカースタジアムでチャンピオンになって、カップ、シャーレを掲げたい。それができたら嬉しいなと思います」(遠藤選手)
サポーターの声、アンケート結果
長谷川監督、遠藤選手から実感のこもったコメントをいただいことに続いて、市立吹田サッカースタジアムを訪れたサポーター200名に、市立吹田サッカースタジアムにどのような印象を持っているのか、アンケートを行った。
『市立吹田サッカースタジアムの好感度』を聞いた結果では、驚くべきことに、否定的な意見がまったくなく、いかにサポーターの気持ちをつかみ、愛されているスタジアムであることがよくわかる結果となった。
『市立吹田サッカースタジアムの魅力・好きなところ(自由記述)』では、「欧州のスタジアムのような雰囲気」「サポーターの声が屋根に反響して響くこと」などスタジアムの作りの魅力が評価され、利便性として「チケットの席種に関係なく、コンコースを自由に回遊できる」「Wi-Fiがつながる」こと、そしてやはり地元のファンからは「『自分たちのスタジアム』という誇りがある」という意見が聞かれた。
『これからの日本のサッカースタジアムに期待する点(自由記述)』では、圧倒的に「サッカー専用スタジアムが欲しい」との声が多く、市立吹田サッカースタジアムでの観戦経験が大きな影響を与えていることが見て取れる。「交通機関からのアクセスが良いスタジアム」「子ども連れや障がいのある人にも使いやすいスタジアム」「客席全面に屋根、座席に暖房」「スタジアムグルメの充実」など、利便性やバリアフリー等、今後作られるスタジアムの方向性を示唆する様々な視点からの要望があった。そして「チームの規模にあったスタジアム」という、観戦する時の雰囲気を意識した意見も見られた。
スタジアムが街を育て、人を育てる
日本に類のない本格的なサッカー専用スタジアムを、自分たちの手で——
サッカーを愛する者たちの情熱が、市立吹田サッカースタジアムという夢のような空間を作り上げた。そして彼ら、彼女らの情熱は、市立吹田サッカースタジアムを唯一無二のものとしてとどめることでなく、全国各地に同様のスタジアムが波及することを望んでいる。
長谷川監督は言う。
「例えばサッカー少年が、もっとサッカーを理解したいと思ったら、こういうスタジアムで上から試合を見ることが非常に役に立つでしょう。90分の試合のうち、ボールに触っている時間はどんな選手でも1分か2分程度。残りの89分はボールを持たない状態で動いているんです。子どもたちがその89分に意識を向けて、自分と同じポジションのプロ選手がどんなポジショニングをしているのかを学ぶことは、その子の競技力向上に大きく影響を与えると思います」
遠藤選手の言葉を借りれば、次のようになる。
「普段はスタンドからピッチを眺めることはありませんが、この企画の撮影で(スタンドに)上がって見てみたら、迫力あるなと感じました。観戦に訪れた子どもたちは、やっぱりサッカー選手かっこいいって思うでしょうし、『ここでやりたい』という一つの目標が生まれると思うんです。実際、僕が子どもだったら『やりたい』って思うはずです」
つまり、良質なスタジアムは、未来の選手の育成にも寄与するということだ。
「スポーツは、育てることができる。」
スポーツくじ(toto・BIG)はこのメッセージを掲げて、日本のスポーツ振興に役立てるよう、さまざまな活動を行っている。市立吹田サッカースタジアムの事例からは、スポーツ施設が競技者の利便性だけでなく、観戦者の満足度をも徹底的に追求することで、スポーツは時間をかけて大きく育てることができるという可能性を感じることができた。
近代以前、地方に都市が形成される過程には、西洋ならば教会が、日本ならば神社や寺院が建てられた。そこに人が集まり、人を育て、経済活動が生まれ、街を育てた。21世紀のいま、そのようなまちづくり、人づくりの端緒を開く役割を、スポーツ施設に見いだすことができるのではないだろうか。
(2017年3月、大阪府吹田市にて)
アンケート結果はすべて(独)日本スポーツ振興センター調べ
実施:2017年3月11日
対象:J1リーグ第3節ガンバ大阪対FC東京のサポーター200名
ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
市立吹田サッカースタジアム
収容人数:総数40,000人
所在地:〒565-0826 大阪府吹田市千里万博公園3-3
大阪モノレール「万博記念公園駅」より徒歩15分。
2015年9月30日竣工、2016年2月14日にこけら落としされた国際試合の開催要件を満たすサッカー専用スタジアム。建設費は数多くの法人・個人からの寄付金でまかなわれ、運営についても自治体とチームが新しい関係を構築したことから、サッカーファン・関係者から「画期的」と賞賛されている。
INFORMATION
長谷川健太 はせがわ けんた
清水FCの一員として全日本少年サッカー大会優勝、筑波大学を経て1988年に日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)へ入部。1991年Jリーグ設立時に清水エスパルスに入団。1993年ワールドカップアメリカ大会への出場をかけた最終予選に日本代表として出場。1996年ナビスコカップ優勝、1999年Jリーグセカンドステージ優勝に貢献して同年引退。サッカー解説者、2005年~2010年清水エスパルス監督を経て、2013年ガンバ大阪の監督に就任、J1昇格とJ2優勝を達成。2014年昇格1年目で9年ぶりのリーグ優勝に導き、同年は天皇杯、ヤマザキナビスコカップの3冠を制覇。
INFORMATION
遠藤保仁 えんどう やすひと
鹿児島実業高等学校で1995年に高校選手権優勝。1996年には高円宮杯優勝、U-18日本代表に選出。1998年に横浜フリューゲルスへ入団し開幕戦でプロデビュー、1999年に京都パープルサンガ、2001年にガンバ大阪へ移籍。1999年U-20日本代表、U-22日本代表に選出。2002年日本代表に初招集。2006年ワールドカップドイツ大会から2014年ブラジル大会まで3大会連続選出、国際Aマッチ出場は150試合を超える。