第二の人生を歩む野球人 第2回 増渕竜義さんインタビュー

第2回 増渕竜義さんインタビュー SUPPORT

第二の人生を歩む野球人 第2回 増渕竜義さんインタビュー

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このシリーズではセカンドキャリアを歩む元プロ野球選手を紹介しています。第2回は東京ヤクルトスワローズの投手として活躍した増渕竜義さんの登場です。

増渕さんは、2006年度のドラフト1位で東京ヤクルトスワローズに入団、ルーキーイヤーから開幕時の先発ローテーションに名を連ね、2010年には中継ぎとしても健闘。しかし、2014年に北海道日本ハムファイターズへトレード移籍した頃から「いい時の感覚が戻らなくなった」と、2015年に27歳という若さで引退。多くのファンから惜しむ声がありました。

それでも印象に残っているのは、速いストレートを武器にマウンドで躍動する雄姿。あの“増渕投手”は、今どうしているのか――。話を聞こうと彼のもとを訪ねました。


キャッチボールをする増渕さん

地元・埼玉で野球スクールを開校

埼玉県上尾市。のどかな風景の中に広い倉庫を改造した野球練習場がありました。ここが『上尾ベースボールアカデミー』。今年4月、増渕さんが子供たちを対象に開いた野球スクールです。

人工芝が貼られた敷地は広さ約780平方メートル。打撃練習の際にはネットで仕切りが作れるので、2台のマシンで軟球と硬球を分けて打てるうえに、同時に素振りをするスペースも確保できます。さらにはブルペンのような投球練習場もあり、充実した環境です。

完成までには、増渕さん自らが全身ホコリまみれになりながら掃除をして、業者の手をほとんど借りず人工芝の貼り付けをするなど、大変なこともあったのだとか。こうして作られたスクールには、増渕さんの野球に対する思いが込められていました。


平日の夕方。小学生の練習風景

生徒からは増渕コーチと呼ばれています

―スクール開校前に会社を設立されていますが、そのいきさつを教えてください。

プロ野球を引退してセカンドキャリアに入る人のサポートをしたいという気持ちで会社を設立しました。自分が多くの人と出会い、人脈を広げることによって、仕事を紹介できる可能性もあるし、相談にも乗れるだろうと考えたんです。簡単に言うと『窓口』になりたかったんです。こうやって取材をしてもらっているのも『窓口』があったからですよね。

自分自身がいろいろな経験をしてみようと、知人の紹介で野球関連以外の仕事を手伝ったこともありました。焼き肉店の店員とか、荷物の仕分けとか…。
でも、やっぱり大好きな野球に携わる仕事がしたいと思ったんです。

―野球界のサポートという視点から、スクール開校に至ったのですね。

はい。プロ野球の世界で経験させてもらったことを次につなげたいと考え、これからプロの選手をめざす子供たちのサポートをしようと決めました。僕のように元プロが球児の力になれたら、“野球全体”がレベルアップできるはずだと思っています。

生徒は小学生が多いですが、中学生も増えてきました。この時期は、夏の大会が終わって部活動をやめても、高校で野球を続けたいという中学3年生がいますからね。個別ですが、大人も何人か指導させてもらっています。

――今年の初めに(元プロ野球選手が学生野球を指導するために必要とされる)
『学生野球資格』も得たそうですね。

「出身校である鷲宮高校時代の恩師(現・上尾高校野球部監督)のお手伝いをしたかったんです。恩師は『いい選手である前にいい生徒でいよう』と人間性を重視した野球を教えてくれました。それが大人になって活きているなぁと思います。」

生徒と一緒にボール拾いもします
場内に貼られた増渕さんが大事にしている言葉

自分で考えて練習をすることが大事

―指導するにあたり、大事にしていることはありますか?

例えば『こんな選手になりたい』という目標があったら、達成するにはどんな練習が必要なのかを考えさせます。『こんな練習がしてみたい』と気が付いてくれたら、僕も『じゃあやってみよう』といった感じです。何でもかんでも言われてやらされるより、自分で考えて練習するほうが身に付きやすいですからね。北海道日本ハムファイターズがそういうスタイルでした。全体練習よりも自主練習が長かった。だけど、何が正解なのかは分かりません。全体で練習するほうがチームは強くなるかもしれないし…。

―先ほど高校時代の恩師のお話が出ましたが、プロ時代に影響を受けた人はいますか?

(元ヤクルトスワローズの)宮本慎也さんです。ロッカーも隣だったし、尊敬していたから話を少しでも聞きたくて、移動のバスでも隣の席に座っていました。すごい選手なのに宮本さん自身は「自分は下の下」だと思って努力してきた人なんです。それに比べたら僕なんて甘ちゃんです(笑)

―そんなことはありません(笑)。それどころか、田中将大投手(ニューヨーク・ヤンキース)、前田健太投手(ロサンゼルス・ドジャース)、坂本勇人選手(読売ジャイアンツ)らと同じ『黄金世代』の中で、“雑草魂”と言われたこともありますよね。

その通りです。雑草魂というか、チャレンジャーですね。僕は高校野球で甲子園にも出ていませんから。同世代の選手が活躍する中で、ライバルという捉え方もあったけど、僕は僕だと思っていたし、『(1988年生まれの)88年会』は仲がいいので、応援していました。特にマエケン(前田健太投手)とは仲が良かったですね。今でも気にかけて見ていますよ。

テニスラケットを使った打撃練習

幅広い人脈ができた野球界に感謝

―続いて、野球選手のセカンドキャリアについてどのように思いますか?

選手会のサポートもあるし、声をかけてくれる先輩や知人もいるでしょうから、仕事が全く見つからないという心配はないと思います。ただ、新しい仕事を続けられるかどうかの不安はみんな持っているんじゃないでしょうか。

僕は、プロ野球の世界でやらせてもらったおかげで幅広い人脈ができたと思っています。これは野球界に入ってすごく感謝していること。人とのつながりは本当に大事です。僕自身も最初に話したように『窓口』になりたいし、野球スクール開校というセカンドキャリアもあるんだなと思ってもらえるとうれしいです。

スワローズ2軍から使わなくなったボールもらったそうです

夢は生徒の活躍と元プロが指導する『野球学校』設立!

―では今後の夢を聞かせてください。

うちの生徒が高校野球で甲子園に行ったり、プロ野球選手になったりするのが今の夢です。そこまで行けなくても一生懸命頑張っていることを聞くだけでもいいです。完全に親目線ですね(笑)。

あと、すごく漠然としているんですけど、指導者が元プロ野球選手だけの『野球学校』が作れたら最高ですね。小学生チーム、中学生チーム、高校生チームがあって…。おもしろいでしょう!?

野球ファンとして喜ばしいのは、プロ野球のマウンドに立つ雄姿と形は変わっても、子供たちに野球を教え、練習に使うボールを磨く増渕さんの姿が「野球人」のままだったこと。

また、練習後に聞いた「毎日楽しいっす!」という言葉は、引退時に多くの人が感じた「もったいない」という思いを晴らしてくれるようでした。


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