「トラクター・デモ」から1年、アンダルシアに春を告げたブエルタ・ア・アンダルシア

「トラクター・デモ」から1年、アンダルシアに春を告げたブエルタ・ア・アンダルシア
2025年2月19日から2月23日の日程で、スペイン南部のアンダルシア地方を舞台にした5日間の自転車レースであるブエルタ・ア・アンダルシアが開催されました。昨年はこの時期に発生した農業関係者による「トラクター・デモ」の影響を受け、わずか1日しか開催できなかったブエルタ・ア・アンダルシアでしたが、今年は5日間フルに開催し、アンダルシアに自転車レースシーズンの到来を告げることになりました。このレースの様子をレポートします。
TOP写真:第5ステージのゴール地点となったラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオンにて。ステージ優勝者のジョン・バレネチェア(写真右)と2位のトビアス・ヨハンソン(写真左)。Photo by Yukari TSUSHIMA.
昨年は「トラクター・デモ」の影響で、1日だけのレースに
第2ステージのスタート地点となったアルクアデーテにて。天気も良く温かいため、選手もリラックスしている様子。Photo by Yukari TSUSHIMA.
毎年2月下旬に5日間の日程で開催される、自転車レースのブエルタ・ア・アンダルシア。温暖なアンダルシア地方は、2月も下旬になると最高気温が20度近くにまで達します。
毎年比較的穏やかな気候の中で開催されることが多いブエルタ・ア・アンダルシアですが、昨年(2024年)は、当初例年通り5日間の開催を予定していたにも関わらず、実際にはわずか1日だけのレースで幕を閉じることになってしまいました。
その原因は、EUの農業政策に反対する農業関係者によるデモ行為、通称「トラクター・デモ」でした。EU域内の農業関係者が各国でトラクターを大きな都市に乗り入れる形でのデモを行っており、スペインもそのデモ活動が発生していたのです。
アンダルシア地方はオリーブをはじめとする農産物の世界有数の産地でもあります。そのため、昨年のこの時期には、ほかのスペインの地域と比較しても、より活発なデモ行為が続いていました。
「トラクター・デモ」をする際、公道は封鎖され、近隣の交通整備のために多くの関係者がデモの現場に向かうことになります。そのため、このデモとほぼ同じ時期に開催を予定していたブエルタ・ア・アンダルシアを警備あるいは先導する警察関係者が、レースの現場に来ることができなくなってしまいました。そのため、2024年の同レースは、当初は例年通り5日間の開催だったにもかかわらず、実際にはわずか1日だけの開催となってしまいました。
こうした昨年の経緯もあり、ブエルタ・ア・アンダルシアのレースオーガナイザーは、今年のレース開催に大きな期待と喜びを感じている様子でした。
昨年オーガナイザーが守り切った唯一のレースの舞台となったアルクアデーテという町が、今年は第2ステージのスタート地点となり、たくさんの地元の子供たちがスタート地点に応援に駆け付けました。
気温の変化で、体調を崩す選手も
このレースを最後まで走った3人のモビスターの選手たち。右からホルヘ・アルカス選手、ジョン・バレネチェア選手、エンリク・マス選手。Photo by Yukari TSUSHIMA.
今回のレースの舞台となるアンダルシア地方は、スペインで2番目に大きな地域で、その広さは87559平方キロメートルあり、北海道(83422平方キロメートル)の面積より少し大きいくらいです。つまり、北海道の中を5日間かけて自転車レースをしていることと同じような感じになるため、レース前後の移動が非常に長いことはもちろん、コースの場所によっても気候が異なることも多く、意外と選手たちが苦しむレースでもあります。
第4日目のスタート地点となった、メスキータという世界遺産で夢否コルドバでは朝方に冷たい強烈な雨が降る一方で、最終日のゴール地点となったラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオンの最高気温は22度になるなど、気温の幅も大きかった今年のレース。そうした環境のせいか、今年は体調を崩してレースを途中で棄権する選手の数が多く見られました。
レース4日目、スペインの強豪チームであるモビスターは大半の選手が棄権し、レースを続けていたのはわずか3選手だけとなります。こうした不利な状況にも関わらず、最終日には同チームのジョン・バレネチェア選手がステージ優勝するなど、最後まで選手一人ひとりの能力をしっかりと発揮し、改めてチームの強さを見せつけていました。
最終日のゴール地点は、イギリス領・ジブラルタルの隣町
イギリス領のジブラルタルにある岩山 The Rockをのぞむ第5ステージのゴール地点。Photo by Yukari TSUSHIMA.
今年のブエルタ・ア・アンダルシアの最終日のゴール地点は、イギリス領ジブラルタルと接する港町のラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオンに設定されました。この町は、本来であれば昨年のブエルタ・ア・アンダルシアで最終日のゴール地点となるはずの場所でした。しかし、昨年選手たちを迎えることができなかったこの港町の大通りに、今年はたくさんの観客が詰めかけ、レースを終えた選手たちを迎えました。
このレースを走り終えたスペイン人サイクリストのフェルナンド・バルセロ選手(カハルラル・セグロスRGA)は、「今年はかなり厳しいレースだった。プロトン内では選手の間で緊張感がかなり感じられた。」と話します。他の選手からも同様の意見が聞かれましたが、その一方で今年は無事に5日間予定通りレースが開催できたことに喜ぶ選手の声が聞かれました。
レースが開催できること、そして開催したレースが最後まで無事に運営されることは決して簡単なことではないことを改めて多くの人が感じた、今年のブエルタ・ア・アンダルシアとなりました。