ロンドン、マンチェスターからタインウェアまで、プレミアリーグはダービーがアツい!
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「最長ダービー」マージ―サイドダービーは225回!
マージーサイドダービー、ノースロンドンダービー、タインウェアダービー、マンチェスターダービー…。
ロンドンだけでも数多くのクラブがあり、同じ街にあるライバルクラブが争うことが多いイングランドは「ダービー」発祥の地。最古のダービーは150年以上も前に開催されており、世界で最初のサッカークラブであるシェフィールドFCと2番めのハラムFCの対戦は1860年でした。
歴史的には他のダービーより新しいものの、最も長く続いているダービーは、リヴァプールとエヴァートンが戦うマージ―サイドダービー。両者がトップリーグに所属し続けているため、1962-63シーズンから50年以上もとぎれることなく開催されており、過去225回の対戦成績はリヴァプールの88勝71分け66敗と驚異的な数字になっています。
ダービーというと、選手もサポーターも激しく争うというイメージがありますが、リヴァプールの本拠地アンフィールドと、エヴァートンのグディソン・パークが目と鼻の先にあるマージ―サイドダービーは、両者のファンが並んで応援する風景も珍しくない友好的なダービーとして知られています。
マージーサイドダービーといえば、昨シーズンを最後にプレミアリーグに別れを告げたスティーブン・ジェラードの名前は忘れられません。
33試合を戦って、MFながら歴代3位となる10ゴールを挙げており、2011-12シーズンのアンフィールドではハットトリックを決めています。彼がファンにとって特別な存在だったのは、リヴァプ―ルで長くキャプテンとして活躍したことはもちろん、ダービーに強かったのもその理由のひとつでしょう。
何かと因縁深いノースロンドンダービー
2000年以降、盛り上がっているダービーといえば、アーセナル絡みの2つのダービー、トッテナムとのノースロンドンダービーと、チェルシーと争うビッグロンドンダービーでしょう。
ノースロンドンダービーの対戦成績は、アーセナルの78勝49分け55敗。2015-16シーズンは、9月のキャピタルワンカップでアーセナルが1-2と勝った際にホワイト・ハート・レーンの看板が壊され、1-1のドローとなったエミレーツのプレミアリーグではトイレが破壊されるなど、ピッチの外でもヒートアップ。
トッテナムが勝つとDVDが発売され、アーセナルがリードすると「お前らの代わりに俺たちがDVDを作ってやろうか?」と揶揄するチャントがスタジアムに響き渡るなど、ライバル関係の激しさはプレミアリーグでもトップクラスです。
両者の因縁は、1919年、第一次世界大戦終了後にトップリーグのクラブ数を増やした時、当時1部の最下位だったトッテナムではなく2部で5位だったアーセナルが投票で昇格するという不可解な決定がなされたことに端を発しています。その後アーセナルは、1930年代にリーグ優勝5回という黄金時代を築き、トップクラブの座を揺るぎないものにしました。
アーセナルより30年以上も先にノースロンドンに根付いており、我こそは元祖というプライドがあるトッテナムが、後から引っ越してきたクラブを許すわけがありません。
2003-04シーズン、「インヴィンシブルズ」と呼ばれ無敗優勝を果たしたアーセナルの最終戦は、ホワイト・ハート・レーンでのトッテナム戦で、2-2のドロー。この試合は、ロビー・キーンのPKが決まってトッテナムが追いついた直後にタイムアップの笛が鳴って、「アーセナルが敵地でトッテナムに勝って無敗優勝達成」という事態が回避されたことでも有名です。
モウリーニョVSヴェンゲルがアツい!ビッグロンドンダービー
アーセナルとチェルシーのビッグロンドンダービーは、アーセナルの71勝54分け60敗。こちらは、選手やファンもさることながら、最近は「モウリーニョVSヴェンゲル」の監督対決が話題となることが多いダービーです。
2014年10月には、ケーヒルがアレクシス・サンチェスに激しいタックルを見舞ったことから口論となり、ヴェンゲル監督がモウリーニョ監督を突き飛ばす事件が発生。
今年の4月に対戦した際は、アーセナルサポーターに「退屈な、退屈なチェルシー」とチャントを歌われたことに対して、
とモウリーニョ監督が逆襲し、「10年間タイトルがないのは、私にとっては退屈」
とヴェンゲル監督が応酬する一幕がありました。「監督にとって大事なことは、他の監督に敬意を表すこと」
2015-16シーズンのスタンフォード・ブリッジでは、ジエゴ・コスタの挑発を受けたガブリエウが足を出してしまい、レッドカード。
「審判のジャッジは理解できない」(ヴェンゲル監督)
「ヴェンゲルが文句をいわなかった日はない。唯一、例外だったのはコミュニティ・シールドで私たちに勝ったときだけだ」(モウリーニョ監督)
と、ここでも場外バトルを繰り広げています。次戦、1月24日のエミレーツでは、ヴェンゲル監督がプレミアリーグで対モウリーニョ初勝利を飾り、雪辱を果たすことができるのかに注目です。
サンダーランドはダービーに勝つために監督交代?
イングランドのダービーといえば、タイン・ウェアダービーに触れないわけにはいきません。こちらは、ニューカッスル・アポン・タインとサンダーランドという2つの街の歴史的な対立が背景にあり、両者の因縁は16世紀にニューカッスルが手に入れた石炭利権、その後の清教徒革命における戦争まで遡ります。
熱さ、激しさでは他のダービーを凌駕するタイン・ウェアでは、2000年代前半まではサポーターによる暴動が起こることもしばしばでした。
戦績は、ニューカッスル53勝、サンダーランド52勝、引き分け49と拮抗。「ダービーに敗れることは恥ずべきこと」という意識が両クラブとも強く、2014-15シーズンに本拠地スタジアム・オブ・ライトでサンダーランドが1-0で勝った際には、前半にゴールを決めたデフォーが感極まり、ハーフタイムに泣きながらロッカールームに退いたほど。
ここ数年はサンダーランドが圧倒的に強く、現在6連勝中なのですが、ディカーニオ、ポジェ、アドフォカート、アラダイスと、このところの監督交代はすべてタイン・ウェアダービー直前。長期的な強化よりも目先のダービーとばかりに気合いが入りまくりなのであります。ああ、ダービー、恐るべし。
懐かしきマンチェスター・ダービー
プレミアリーグ観戦に何度も足を運びながら、筆者がダービーを体験したのは1度だけです。
2003-04シーズンの2月、オールド・トラフォードで行われたマンチェスターダービー。あのシュマイケルがマンチェスター・シティの一員だった年で、彼はこの試合の数か月後に引退を発表しています。元はユナイテッドの名GKだった彼は、試合前のアップで故障して欠場。1-1の試合の先制ゴールは、最近レスターのジェイミー・ヴァーディに破られた10試合連続ゴールをこのシーズンに記録していたルート・ファン・ニステルローイでした。
当時はまだマンチェスター・シティが中堅クラブで、マンチェスター・ユナイテッドにとってはアーセナルとのライバル対決のほうが盛り上がっていた時代でしたが、やはりダービーのスタジアムは独特の雰囲気。
ベッカムが5メートル前でCKを蹴るという席での観戦でしたが、隣に座っている地元のオジサンが、とにかくアツい。ホームチームが勝ち越しを狙って終盤猛攻を仕掛けてからは、「カモン、ベックス!」(=よし、ベッカム!)しかいわなくなったのが印象的でした。
試合が終わってから、赤いユニフォームのまま食事をしようと街なかの中華料理屋にはいると、店内に緊張感が走り、無数の厳しい視線が突き刺さります。当時のマンチェスター・シティには孫継海というサイドバックがいて、シティびいきの中国人が多かったのですね。店を選ぶときにそれを失念しており、大変緊張感の高い遅めのランチとなってしまいました。
特にアウェイチームの応援でダービー観戦にいかれる方は、当日立ち寄るスポットや、試合後の服装には気をつけていただければと思います。
今回は、現在プレミアリーグに所属しているクラブ同士の代表的なダービーを紹介しましたが、このほかにもアストン・ヴィラとバーミンガムのバーミンガムダービー、リヴァプールとマンチェスター・ユナイテッドのノースウェストダービーなど、イングランドには無数のダービーが存在します。
機会があれば現地に赴いて、あの熱狂の渦を体感してみてください。どのクラブのサポーターにとっても、それぞれにダービーは特別です。