世界の舞台で活躍することが、 スポーツができる喜びを大きく拡げる

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パラバドミントン世界選手権(2年に一度)シングルスで2013年優勝、2015年準優勝の豊田まみ子選手。2014年にダブルスで年間グランドスラムを達成、シングルスでも全米、全仏で優勝、2016年パラリンピックリオ大会で銅メダルを獲得し、2017年1月全豪でシングルス初優勝を果たした車いすテニスの上地結衣選手。常に世界の頂点で戦うパラアスリートのお二人に東京2020パラリンピックに向けて、何が大切だと考え、どんなことに取り組んでいるのかをうかがいました。 (お一人ずつ個別にインタビューを実施)

パラバドミントン 豊田まみ子選手、車いすテニス 上地結衣選手

「楽しい」が「勝ちたい」に変わり、世界の舞台へ

――豊田選手と上地選手の二人に、スポーツの楽しさに出会った頃のことを聞きました。いつ、どのようなことがきっかけだったのでしょう。

豊田 バドミントンを始めたのは小学4年生の時、母親に勧められたのがきっかけです。当時は楽しむためにやっているという感覚で、あまり勝ち負けに執着していませんでした。中学・高校生になって「試合に勝ちたい」「もっとうまくなりたい」と思うようになりました。

上地 両親がバスケットをしていたこともあり、小学4年生の頃に車椅子バスケットを始めたのですが、同じチームの方に紹介してもらって車いすテニスを始めました。姉が中学でテニスをしていたことも影響していると思います。やってみると、何もかもが楽しかったですね。試合に勝ったら楽しい、負けたら悔しいけど楽しい、練習も楽しい、試合のためにあちこち出かけるのも楽しいという感じでした。テニスは、いい結果も悪い結果もすべて自分次第。そういうところが私に合っていたんだと思いますね。

――やがて二人は、「スポーツが好きな少女」から「アスリート」へと成長していきました。スポーツ選手という人生を選ぶ決意をした背景には、どんなドラマがあったのでしょうか。

豊田 高校2年生の時に初めて障がい者バドミントン選手権大会に出場しました。想像していた以上にレベルが高く、「この世界で活躍したい」という気持ちになり、大学2年生の時に初めて国際大会に出場すると、「世界の舞台で戦いたい」と思いがさらに膨らみました。
私が代表入りした頃から、パラバドミントンは近いうちにパラリンピック競技入りするだろうと言われていたこともあって、私はパラリンピックで活躍するという高い目標を掲げてやってきました。2020年の東京大会で晴れて正式競技となり、舞台は整ったなという感じです。

上地 私がアスリートとしてやっていこうと決断をしたのは、実は2012年、パラリンピックロンドン大会から帰国してしばらく経ってからです。結構遅いんですよね。当時、私は高校3年生で、卒業後は語学習得のために進学するか、普通に就職するかと考えていて、テニス選手という進路はまったく考えていませんでした。
でもパラリンピック ロンドン大会に出場してみると、まず開会式の華やかさに圧倒され、その舞台に自分が立っていることの喜びに気づいたんです。結果はベスト8で、勝つ楽しさと負ける悔しさの両方を味わいました。そこで「もう1回このパラリンピックという舞台に立ちたい」という気持ちが芽生えて、悩んだ末にテニス選手として専念することを選びました。

コートに入れば一人。結果はすべて自分次第。

――二人はそれぞれ世界で通用する武器を備えています。豊田選手は「高速スマッシュ」、上地選手は「チェアスキル(車いす操作)」。改めて二人に「自身のアスリートとしての長所は?」と聞いてみると、意外な答えが返ってきました。

豊田 私って、何をするにもすごくゆっくりなんです。他人よりも遅いけれど、でも確実にこなしていくタイプ。だから、一気にグンと伸びたりはしないんですけど、なかなか成果が見えない時期でもコツコツと目標に向かってがんばることができるんですよね。それが私の長所だと思います。

上地 同じことを何時間でも何百回でも繰り返し続けられることが、私の長所です。コート上での練習は1日だいたい4時間で、その間700〜800球ぐらい打つんですけれど、その1球1球のわずかな違いを意識しながら、少しずつ自分の理想に近づけていくことが楽しいんです。

表現は異なりますが、両者とも「粘り強い精神力」を自分の長所に挙げました。「コートに入れば一人」(豊田)、「結果はすべて自分次第」(上地)というラケットスポーツ界で、世界の頂点を極めた2人が、教えられて身につくものではない「内面」に自信を持っていることは、偶然ではないのかもしれません。

東京2020パラリンピックでは「金」を獲る

――二人は東京2020パラリンピックでの金メダル獲得を目標に掲げ、すでに大会から逆算した長期的なトレーニングに取り組み始めているといいます。二人はパラリンピックという大会にどのような想いを抱き、また今年(2017年)は、2020年に向けてどんな年と位置づけているのでしょうか。

上地 2016年のリオ大会は金メダルを目標に掲げて臨みましたが、結果は銅メダル。目標には届きませんでした。
ただ、もし決勝まで行っていたら私は金メダルを取れたと思っています。準決勝で当たった相手(アニク・ファンクート選手/オランダ)が、実は4年前のロンドンでも準々決勝で当たって負けた相手だったんです。とはいえ、直前の大会では私が勝っていた。だからリオでいざ対戦した時には意気込み過ぎてしまって、冷静なプレーができなかったですね。

豊田 リオ大会でパラバドミントンは行われませんでしたが、バドミントン選手として、高橋選手・松友選手が出場した女子ダブルスをドキドキしながらテレビで見守っていました。あんな大舞台であんな大逆転で金メダルを獲るなんて、私は見たことがありません。
同時に、2020年は自分もその舞台に立っているかもしれないので、どんな心構えで臨んだらいいのかなと、考えながら見ていました。

上地 東京2020パラリンピックを見据えて、今年はいろんなことを試す年にしたいです。技術的にはバックハンドのトップスピンとサーブに重点を置き、特にバックハンドのトップスピンは以前から取り組んできたのですが、リオでは実戦で使うことができず、2017年1月の全豪オープンでやっとイメージに近い球を打つことができました。
技だけでなく、よりタイヤが大きく座面の高い新しい車いすも試します。試すので負ける試合が増えたり、うまくいかないことがあるかもしれません。でも、このタイミングで一度取り入れてみることは大事かなと思っています。
2017年はグランドスラムを含めて21〜22大会に出場するプランを立てています。特に2016年に新設され、今年で2回目となるウィンブルドンのシングルスは、優勝を目標に掲げて臨みたいと思います。

豊田 現在のトレーニングの目標は、フィジカルの強化を継続することです。最近、上半身の使い方に重点を置いたトレーニングを取り入れました。以前は鍛えようと思っても「右腕だけ発達してしまうからバランスが悪くなる」と考えていたのですが、トレーナーさんから「トレーニング用の義手をつけて、左右両方鍛えたらいい」とアドバイスをいただいたんです。おかげで私は、これまで体験したことのない「左腕の筋肉痛」を日々味わっていますし、「ここに力を入れたらこう作用する」という左腕の使い方もだんだんわかるようになってきました。ケガの予防にもつながっていると思います。
実戦については、日本障がい者バドミントン連盟がエントリーを予定している5つの国際大会すべてに出場するつもりですし、そのすべての大会でメダルを取ることを目標にしています。11月には世界選手権が開催されますので、前回2015年大会の銀メダルを超える、金メダルを取れるようにがんばりたいと思います。

大きな舞台で活躍することで感謝を伝えたい

――2020年に向けて、日本国内はパラスポーツに対する機運がかつてないほど高まりを見せています。スポーツくじ(toto・BIG)によるスポーツ振興のための助成では、パラアスリートを対象としたアスリート助成や、東京2020オリンピック・パラリンピックの準備などに役立てられています。アスリートである2人も、そのような世の中の変化に、ポジティブな変化を感じているようです。また、2020東京オリンピック・パラリンピックがどんな大会になって欲しいかをお聞きしました。

上地 私たち車いすテニスの選手は、日々の練習や試合経験を積むための経済的な負担が小さくありません。国際大会に出場するにも自己負担が大きく、小さな大会なら賞金を獲得しても赤字というケースが度々あります。
ですから、スポーツくじによるアスリート助成のおかげで、私はプレーに専念することができるので、とてもありがたいです。

何をもってパラリンピックの「成功」というかは、人それぞれの立場によって違うと思います。私は競技者として、自分がシングルスで金メダルを取ることが最大の成功だと思います。また、障がいを持った子供や大人たちが「スポーツをやりたい」と思ったらやれる環境を作っていけるかどうかも、パラリンピックの成否の基準になると思うんです。
本来スポーツとは誰でもできるもので、やりたいと思ったらすぐに始められるものだと思います。そういった意味で、スポーツくじは全国のスポーツ施設の整備や大会運営、スポーツ教室の開催などを支えてくださっていると聞きました。さまざまな人がスポーツを楽しめる環境を作ってくださっていることに感謝しますし、これからもさまざまな形でのご支援をいただけたらうれしいです。
そして、スポーツくじによる助成がたくさんの人にとって、より大きな意味を持つようになるためには、私たちアスリートが大きな舞台で活躍することが必要だと思います。スポーツに参加することの価値や喜びがもっと広がっていくように、私もさらに活躍したいと思っています。

豊田 パラバドミントンがパラリンピックの正式競技になったことで世界中の選手のモチベーションが上がっていると感じます。また日本国内でも、いろんな方に応援していただけるようになって、それが私のエネルギーになっています。
私はコーチやトレーナーなど、たくさんの方のサポートに支えられて活動しています。それらの方々に出会えたのは、スポーツくじによるアスリート助成のおかげです。支えていただいている方々に恩返しするためにも、2020年、みなさんの見ている前で、勝つ姿をお見せしたいです。
東京大会は「これまでの歴史の中で一番、オリンピックとパラリンピックに一体感があったね」と思ってもらえるような大会になってほしいです。みなさんにとって、二つが一緒の、一つの思い出になってくれたらいいなって思うんです。
そのためにも、私たち選手自身がパラスポーツ界をもっともっと盛り上げたいです。スポーツくじの収益は大会運営、施設の整備などにも使われていると聞いていますので、その力もお借りして、バドミントン界の盛り上がりをパラバドミントンにも波及させたいなって思います。

もっと自然に接して、チャレンジする姿を見て欲しい

――2020年にパラリンピックのホスト国となる日本。数多くのパラアスリートを迎える私たちはどのように対応すればいいのかを二人に聞きました。

豊田 世界中からたくさんのパラアスリートを迎え入れることになりますので、どんどん普通に話しかけて自然な交流が増えてくれたらと思います。
パラリンピックが東京で開催されることが決まって以来、私自身も注目され、たくさんの方に応援していただける立場になりましたので、その人たちのためにも強い選手になりたいと思っています。
また、私のプレーする姿を見た誰かに、何か一歩踏み出すきっかけを与えられたらうれしいですね。「あの選手ががんばっているから、私もチャレンジしてみたい」など、私を見て何かを感じていただけたら、私は幸せです。

上地 私はすでに、世の中がすごく変わったなと感じています。東京パラリンピックの開催が決まって以降、私は国内のどこへ行っても、いろんな方から「何をしたらいいですか」「どう変わっていったらいいですか」と聞かれるようになりました。みなさんの意識がそんなふうに変わってきた、それはとてもポジティブな変化なんです。
だからみなさんが今の気持ちで「今度私はこうしてみよう」「僕だったらこうするな」と、それぞれの意思で行動してくれたらいいんだと思います。

私自身は車いすに乗っているけど割となんでもできるんです、っていうことを知ってほしいかな。
2020年以降のパラスポーツ界のことを考えたら、私は東京大会で必ず結果を出さなければいけないと思っています。自分が結果を残すことによって、後に続く人たちがプレーしやすい環境を得られたらいいなと思っています。

(豊田まみ子選手は2017年1月、上地結衣選手は2017年3月、東京都港区にて)

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