東京パラリンピックで金メダルを。水泳・江島大佑選手インタビュー

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東京パラリンピックで金メダルを。水泳・江島大佑選手インタビュー

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アテネ・北京・ロンドンと3大会連続でパラリンピックの舞台で活躍した江島大佑選手。リオパラリンピックでは、日本代表に選ばれるも体調不良で惜しくも出場辞退。熱い想いを胸に、2020年の東京パラリンピックで、個人種目での金メダル獲得を目指す江島選手にお話を伺いました。

突然の障がいを乗り越え、世界を目指すまで

ーー水泳との出会いとご自身の障がいについて教えてください。

水泳は健康のために、と両親の勧めで3歳からスイミングスクールに通い始めたのがきっかけです。その頃は、「ゆくゆくはオリンピックを目指したい」と漠然と思っていました。

その後、12歳の時に水泳をしている際に脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残りました。原因はわかっていません。それから1ヶ月ほどは左半身の感覚が麻痺していて寝たきりでしたし、左頬の筋肉も麻痺していて喋れない生活で、「死んでしまいたい」と感じることもありました。辛い日々でしたが、両親の支えや学校やスイミングスクールの友人たちからの励ましがあり、なんとか乗り越えることができました。早く元気な姿を見せたいとリハビリを始めると半年で歩けるようになり、普通の生活が送れるようになりました。




ーー再び水泳競技を始めることになったきっかけはなんだったのでしょうか。

倒れてからは、また水泳に戻ることになるなんて思ってもみませんでした。左半身が動かない自分を諦めていた部分もあり、水泳はもう無理だと思っていました。
倒れてから約1年半後、中学3年生の時にシドニーパラリンピックを観て自分と同じように障がいを持ってもオリンピックと同じように世界で戦う人たちがいることを初めて知りました。
特に水泳で活躍する成田真由美選手*の映像を見て、半ば諦め掛けていた水泳で、もう一度頑張ってみれば輝くことができるんじゃないかって。パラリンピックで金メダルを獲りたいと思いました。

*成田真由美選手はシドニーパラリンピックに出場し個人メドレー、200m自由形、50mX4フリーリレー、50m背泳ぎ、50m自由形、100m自由形で計6つの金メダル、50m平泳ぎで銀メダルを獲得。

ーー久しぶりに入ったプールの感触はどうでしたか?

全然違いました。両手足で泳ぐのとは違って、右手だけで水をかくと左に寄ってしまったり、これまでの2倍右手でかくので、ものすごく疲れたり、右肩を痛めたりしました。

どうしても昔の感覚があって、イメージと現実のギャップに戸惑いました。

ーーシドニーを観てパラリンピックを目指し、次のアテネで実際に出場しました。その間のトレーニングについて教えてください。

初めはどうしても昔の感覚があって悩んでいましたが、また新しいスポーツを習得するような気持ちで一からイメージを作り直しました。”障がいを持った江島大佑”を一から作っていくことを意識しました。

進路は、パラリンピックを目指すため、水泳部がある高校を選びました。そこで指導者にも恵まれ、「健常者でも障がい者でも同じ練習をして、同じように試合に出す。」と言ってもらえました。そこで健常者と変わらない練習メニューをこなしたのが今の自分を作ったと思います。


世界レベルの泳ぎ、振る舞いを実感

ーー2002年に出場した世界選手権。世界レベルを体感した感想はいかがでしたか?

当時は、自分が健常者と同じメニューで練習していた自信から、世界大会といえど、周りの選手には負けないだろうと少し舐めていた部分がありました。けれど後に良きライバルになる、イギリス代表のリンゼイ・アンドリュー選手にコテンパンに負けて、世界との実力差を知りました。

また、障がいを障がいとも思っていないような泳ぎや振る舞いをしている選手たちとの出会いは大きな収穫でした。このままでは世界では戦えないと実感しました。

ーーアテネ・北京・ロンドンとパラリンピックに出場し、特に印象に残っている大会はありますか?

イギリス・ロンドンはパラリンピック発祥の地ということもあり、国全体として歓迎してくれていたし、障がい者への関心が深いのが印象的でした。ロンドンのヒースロー空港に降りた所にパラリンピックの横断幕が掲げられていて、入国審査の際も、パラリンピックに出ると言ったら「おお!頑張ってくれ!」と声をかけてくれました。

様々な国に行きましたがヨーロッパの国々は障がい者への理解・関心が進んでいると実感がありました。

目指すは東京パラリンピックで金メダル

ーー昨年のリオパラリンピックでは出場権を得ながら体調不良で出場辞退されました。その時の心境と、2020東京パラリンピックへ向けての気持ちを教えてください。

リオパラリンピックの出場権を獲得し、副キャプテンにも指名され、これからという時でした。プールサイドで体調が悪くなり倒れてしまって。はっきりとした原因がわからない中、頭痛や眠れない日々が続き、家族とも相談した上で大事をとって出場を諦める決断をしました。

僕はアテネ・北京・ロンドンと3大会出場し、アテネでは200メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得しましたが、個人種目ではまだメダルを獲得できていません。

シドニーパラリンピックを観たときに決意した、「個人種目で金メダルを獲りたい」という最初の思いがまだ達成されていないので、東京は金メダルを目指して挑戦したいです。年齢的にも、東京が最後かもしれないので思いは強いです。

ーー最後に、同じように障がいを持ち、これからスポーツでトップレベルを目指したいと考えている人たちへメッセージをお願いします。

僕自身、障がいを持って何事に対してもくすぶっていた時期があったのですが、シドニーパラリンピックを観て新たな目標が見つかりました。

そして僕があの頃シドニーパラリンピックで活躍する成田選手を観て水泳に挑戦したように、現在パラ水泳日本代表の小山恭輔選手もアテネパラリンピックで銀メダルを獲得した僕を観て本格的にパラ水泳に打ち込むようになったと言います。

自分が頑張る姿がまた誰かへ数珠繋ぎに伝播していくのは嬉しいことです。あの頃の自分のように障がいを持ってくすぶっている人たちに、自分の姿を観てもらえるように頑張ります。





インタビュー:萩原拓也(Sportie編集部)
文・インタビュー中写真:五十嵐万智(Sportie編集部)

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