過去と現在を結ぶ自転車レース クラシカ・マリーノ・レハレッタ
WATCH過去と現在を結ぶ自転車レース クラシカ・マリーノ・レハレッタ
10月最初の日曜日にスペイン・バスク地方のとある村で、一風変わった自転車レースが開催されます。この村出身の名サイクリストであるマリーノ・レハレッタ(Marino Lejarreta)氏の名の下に集まった選手たちが挑むのは、5人1組でチームタイムトライアルです。今回の記事では今年のこのイベントの様子をレポートします。
TOP写真:この日参加した女子チームのスタート前。写真左から2番目は、元プロサイクリストのドリー・ルアノ(Dori Ruano)氏。1998年にフランスで開催されたトラックの世界選手権で優勝経験もある元プロサイクリスト。Photo by Yukari TSUSHIMA.
400人以上のサイクリストが参加
マリーノ・レハレッタ氏(写真右)。Photo by Yukari TSUSHIMA.
スペイン・バスク地方のサンセバスチャンから列車で1時間ほどの場所にオルディジア(Ordizia)という村に到着します。
毎年7月に、この村ではプルエバ・ビリャフランカ・オルデォジアコ・クラシカ(Prueba Villafranca-Ordiziako Klasika)というプロの自転車レースが開催されます。今年石上優大選手が第7位となったレース、と言えば思いだす方も多いのではないでしょうか。
そして10月最初の日曜日、この村に再びサイクリストたちが大集合します。彼らは今回のイベントであるクラシカ・マリーノ・レハレッタ(Klasika Marino Lejarreta)の参加者たちです。
このイベントの主催者は、オルディジア出身の元プロサイクリストであるマリーノ・レハレッタ氏。彼は1982年のブエルタ・エスパーニャで総合優勝。他にも数多くのレースで優勝し、ジロ・デ・イタリアでも活躍した名選手でした。
彼の名前を冠したこのイベントも今年で5回目。5人1組のチームタイムトライアルが正式種目です。しかし、この日の主役となるのは、自転車に乗ることが大好きな、かつてのプロの自転車選手とアマチュアのサイクリストたち。今年は94チーム470人のサイクリストが、この日のレースに参加しました。
彼らが走るのは、7月25日のレースと同じ、この村をスタート・ゴールとする1周約30kmのサーキットコースです。バスク特有の狭くて距離の短い登りが続くこのコースが、この日の舞台となります。
ツールでの落車、そして彼が得たものとは。
前夜祭の様子。写真左からエドアルド・チョサス氏、マリーノ・レハッレタ氏、そしてホセバ・ベローキ氏。Photo by Yukari TSUSHIMA.
実はクラシカ・マリーノ・レハレッタは、前日の夜からスタートします。毎年、前夜祭としてレハレッタ氏を囲み、数人の自転車関係者が話す気楽な雰囲気の講演会がオルディジアの村で開催されます。
今年の前夜祭でレハレッタ氏と共にステージに立ったのは、エドアルド・チョサス(Eduardo Chozas)氏とホセバ・ベローキ(Joseba Beloki)氏の2人。
エドアルド・チョサス氏は1960年生まれ。現役時代はケルメ(Kelme)やオンセ(ONCE)などのスペインの強豪チームで活躍。ツール・ド・フランスでは4回のステージ優勝を経験した名選手でした。
ホセバ・ベローキ氏は1973年生まれ。現役時代はエウスカルテル・エウスカディ(Euskaltel-Euskadi)やオンセに所属。特にオンセ時代にはチームのエースとして、2000年から2002年まで3年連続でツール・ド・フランスの表彰台に登りました。
しかし、ベローキ氏と言えば、2003年のツール・ド・フランスで発生したラ・ロシェッテ(La Rochette)での落車事故を思いだす自転車ファンの方も多いのではないでしょうか。
この日の前夜祭でも、客席からベローキ氏にこのラ・ロシェッテでの転倒について質問がありました。「2003年のツールでの転倒から2007年の引退までの間、どんなことを考えていたのか」という客席からの質問に対し、ベローキ氏は率直に当時のことを語り始めました。
プロのサイクリストとしての僕の最高のピークは、2003年でした。そして、僕がツールを総合優勝するチャンスが一番あったのも、やはり2003年だったと思います。あの年のランス・アームストロング(Lance Armstrong)は、決して調子がよいわけではなかったんです。でも僕やイバン・マヨ(Iban Mayo:当時のエウスカルテル・エウスカディのエース)は絶好調でした。だから、ランスはあの年のツールでは相当怖いを思いをしながら走っていたと、今でも僕は思っています。
実は、ラ・ロシェッテで転倒した時点で「自分はプロのサイクリストとして今日と同じレベルで走れることは、二度ないだろう」って、僕にもわかっていたんです。そのくらいの大怪我なんだって、あの落車の時点で気がついていましたから。
でも、どうしても自転車に乗りたくて、レースに復帰したくて。そして、自分でもなぜかよく理解できないんですが、「自転車に乗っているうちに、体も戻るだろう」と考えながらリハビリをしていたんですね。でも2004年にイタリア遠征に行く直前に、パンプローナの空港で監督に「ホセバ、お前はスペインに残れ」って言われたんです。その後家に帰って、鏡で自分の歩いている姿を見たら、まともに歩けていないことに僕もやっと気がついたんです。
ラ・ロシェッテでの転倒後はそんなことの繰り返しでした。だから、あの事故の後に僕のサイクリストとしてのレベルが、2003年のレベルに戻ることはありませんでした。
だから、今僕は大怪我から復帰してレースを走っている、アレハンドロ・バルベルデ (Alejandro Valverde/Movistar) のような選手を心から尊敬してます。僕にはできなかったことをやっている訳ですから。
ベローキ氏がこの話をしている間、客席は静まり返ります。そしてその会場にいた全員が、本当に真剣に彼の話を聞いていました。
笑顔が絶えない、真剣勝負のレース
かつての有名チームのレプリカ・マイヨで参加するチームも。Photo by Yukari TSUSHIMA.
翌日はいよいよレース当日。朝9時半から順番にチームがスタートします。
レースの楽しみ方は多種多様です。アマチュアサイクリストのチームであっても、本気で優勝を狙うチームは機材もタイムトライアル用のディスク・ホイールやヘルメットを準備します。
また、助っ人として現役のプロサイクリストが参加しているチームもあります。次の写真のチームにはムーリアス(Euskadi Basque Country Murias)のエンリケ・サンス(Enrique Sans)選手が参加。スタートからゴールまで、チームの先頭でレースを進めました。
サンス選手(写真右)が助っ人参加したチーム。Photo by Yukari TSUSHIMA
一方、ツール・ド・フランスのステージ優勝経験もあるオマール・フライレ(Omar Fraile)選手は、元プロサイクリストによるチームに、助っ人として参戦。スタート直前に「自分の本業のレースより緊張する」と話していた彼ですが、レース中も終始笑顔。リラックスした様子を見せていました。
フライレ選手が助っ人参加したチーム。写真右は昨年までTEAM SKYの選手だったダビッド・ロペス(David López)氏。Photo by Yukari TSUSHIMA.
そして、ここにはおなじみのチームのユニフォームが見えます。日本人サイクリストの萩原真由子選手が所属するエネイカット・ペカフィル・サイクリングチーム(Eneicat Pecafer Cycling Team)です。
実は、同チームのエネリツ・イトゥリアガ(Eneritz Iturriaga)監督は元プロサイクリスト。友人や現役選手のジロッサ・イサシ(Zirotza Isashi)選手とともに、この日のレースに出走しました。
イサシ選手(写真左)とイトゥリアガ監督(同中央)が出走したエネイカット・クラシカ・マリーノ・レハレッタ・スペシャル・チーム。Photo by Yukari TSUSHIMA.
今年参加した94チームのうち、女子サイクリストだけのチームが12チームあり、また男女混合チームも数チームありました。年々女子サイクリストの参加が多くなっていることが、このレースのオーガナイザーのひそかな自慢でもあります。
この日94チームの頂点に立ったのは、かつてエウスカルテル・エウスカディやディメンション・データ(Dimentión Data)で選手として活躍したイゴール・アントン(Igor Antón)選手が率いるチームで、優勝タイムは44分11秒。
僅差で2着だったのフライレ選手のいたチームで、なんとその記録は44分12秒。わずか1秒差で優勝を逃したフライレ選手が、笑顔の中に少しだけ悔しそうな表情を見せながら表彰台に上っていたのが、非常に印象的でした。