アーロン・ヌニェス~片腕でプロフットサルをサバイブする男~

アーロン・ヌニェス~片腕でプロフットサルをサバイブする男~

スポーティ

どんな物事もできるだけ偏見を排して、客観的かつ公平に見るように。筆者は常日頃そう心掛けている。しかし、彼のプレーを最初に見た時、まだ自分は偏見の塊であることを思い知らされた。

「まさか、そんなはずはない。これはLNFS(スペインプロフットサルリーグ)の試合だぞ」心の中で思わずそう呟いてしまったのだから。

見ていたのは昨季2014-15シーズン第19節のサラゴサvsモンテシーノス・フミージャ。

アウェイチーム、モンテシーノス・フミージャの6番アーロン・ヌニェスはテレビ中継用に敷かれた青いコートの上を精力的に駆け回り、多くのゴールチャンスに絡み、試合終盤には利き足である左足のトゥーキックでチーム3点目を決めた。彼には左腕がなかった。

先天的な左腕の障害。両親の教育。フットボールとの出会い

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写真はアーロン・ヌニェス公式ツイッターより

1983年10月10日、スペイン南部のアンダルシア州セビージャでアーロン・ヌニェス・カカウは生を受けた。

左腕が短いという先天性異常を抱えて生まれたアーロンだったが、「健常者と変わらぬ自立した生活を送れるように」という両親の教育方針の下、小さい頃から着替えや靴ひもを結ぶといった日常の動作を全て片手で行う術を身に付け、31歳の今では車の運転も自分でこなす。

そして、スペインの多くの子供たちがそうであるように、幼少期のアーロンもまたフットボールに夢中になった。

「とにかくボールが好きだったわ。彼が好きだった唯一の物と言っても良いくらいね」

と母親が振り返るほどフットボールへの情熱を持っていた少年アーロン。

ディエゴ・マラドーナやフットサルブラジル代表のファルカンといった名手たちと同じ左利きだである彼は、幼い頃から左足で繊細にボールを扱う能力に秀でたものを見せていたという。

15歳でフットサルへ転向。競技への適応を支えたものとは


レアル・ベティス在籍時には大手有料テレビのカナルプルスで特集が組まれた

元々は7人制や11人制の、いわゆる“サッカー”をプレーしていたアーロンに転機が訪れたのは15歳の時のこと。

町で地元のフットサルクラブ、ピノ・モンターノの入団テストの案内を見つけ、テストを受けてみると見事に合格。ピノ・モンターノのU-15カテゴリーのチームに入ることが決まり、フットサル選手としてのキャリアの第1歩を踏み出した。

左腕がない彼にとって、フットサルをプレーすることはもちろん簡単ではない。

右腕を使って左足でボールを持ちながら敵をブロックするはできるが、それでも自身の左側からの接触に対しては全くの無防備。狭いスペースでの攻防が多いフットサルでは、一見それは致命的だ。

しかし彼は天性のテクニックと両親から叩きこまれたという不屈の精神でこのウィークポイントを補っていった。

「家族はいつだって僕の支えだった。絶対に諦めないこと、常に挑戦し続けることを彼らから叩きこまれたよ」


2014年に受けたスペインのWebサイトElite Sportのインタビューでアーロンは当時をそう振り返っている。

2部や2部Bを渡り歩いた“El Mago”


左足のテクニックと創造性は1部リーグでも際立っていた。動画は昨季第6節サンタ・コロマ戦で決めたゴラッソ

2003年に当時2部B(実質の3部リーグ)に在籍していたピノ・モンターノでトップチームデビューを果たしたアーロンは、その後2部や2部Bのチームを転々としていったが、着実にプロとしてのキャリアを積み重ねていく。

毎年のようにユニフォームは変わっても、常に創造性豊かなプレーでチームの攻撃に変化を付ける役割を担っていた彼には、いつしかスペイン語で魔術師を意味する“El Mago(エル・マーゴ)”という異名が付けられ、スペインフットサル界で知られた存在となった。因みにスペインリーグにはもう1人El Magoと評される選手がいるが、それはあのリカルジーニョだ。

2011-12シーズンの後半戦にはスペイン南東部の町カステジョンを本拠地とするペニスコラ(当時2部リーグ)に加入し、チームの1部昇格に貢献したアーロンだったが、同シーズン終了後に子供の頃からの憧れのクラブであったレアル・ベティスのフットサル部門へ移籍したため1部リーグデビューはお預けに。

しかし昨季2014-15シーズン開幕前、その前シーズンにベティスを2部昇格に導いたアーロンにクラブ史初の1部リーグ昇格を果たしたムルシア州のクラブ、モンテシーノス・フミージャからオファーが届く。

30歳でプリメーラ(1部リーグ)デビュー。世界最高の舞台へ


第12節のレバンテ戦では鮮やかなスーパーボレーを叩きこんだ

家族との時間を大切に思い、それまでは地元セビージャを本拠地に置くクラブを優先的に選んできたアーロンだったが「このチャンスを逃したら最高の舞台でプレーしなかったことを一生後悔するわよ」というガールフレンドの助言もあり、移籍を決意。30歳にして遂に世界最高のレベルを誇るスペイン1部リーグの舞台に到達した。

そしてトップカテゴリーデビューを果たした昨季、アーロンは1部の試合でも彼が“El Mago”と呼ばれる所以であるテクニックとプレーインテリジェンスを存分に発揮し、観ている側に障害があることなど忘れさせてしまうパフォーマンスを披露。

シーズン通算13ゴールを挙げて、昇格初年度だったモンテシーノス・フミージャの1部残留に大きく貢献した。

片腕しかない男がプロのフットサル選手になれる訳がない。そんな偏見の壁をアーロンは常にプレーの実力で乗り越えてきた。

2部や2部Bが主戦場であったためビッグタイトルとは無縁。スペイン代表歴もないアーロンだが、それでも彼が積み重ねてきたキャリアは多くスター選手と比べても遜色ない。不可能と思われていたことを現在進行形で可能にしているのだから。

普遍的な希望を体現する男

2015-16シーズンは2部のエルクレスでプレーする

2015-16シーズンは2部のエルクレスでプレーする

9月に開幕が迫る新シーズン、アーロンはモンテシーノス・フミージャからの契約更新のオファーを断り、2部リーグのエルクレス・サン・ビセンテに活躍の場を移した。

彼のキャリアで9つ目のチームだ。31歳となったアーロンの、昨季は2部リーグでも低迷したエルクレスで1部昇格を目指すという新たなチャレンジがもうすぐ始まる。

前向きに努力して自分のすべきことを追求していけば、チャンスはやってくる、アーロンのプレーはそんな普遍的な希望を観ている我々に感じさせてくれる。

彼のそれははっきりと目視できるが、誰もがそれぞれ自分なりの障害や乗り越え難い壁を大なり小なり抱えている。彼が体現していることは、あらゆる人にとっての模範とも言えるだろう。

最後にアーロン本人の言葉を引用する。2014年1月のカナルプルス(欧州の大手有料テレビチャンネル)のインタビューで彼は自分のこんな風に語っている。

「コンプレックスを感じたことはないよ。父親がよく“目標を達成できるように努力するんだ。世界中みんな一緒なんだから”ってよく言ってくれたんだ。僕にできるんだ。世界中の誰でも同じようにできるはずだよ」

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