エミレーツスタジアムで考えた”WENGER OUT”の意味
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1月31日、プレミアリーグのワトフォード戦にホームで負け、チェルシー戦(プレミアリーグ、アウェイ)、バイエルン戦(チャンピオンズリーグ、アウェイ)と重要な試合を続けて落としたことで一気に加速した感のあるヴェンゲル退任論。「スタジアムで”WENGER OUT”と書かれた抗議バナーが掲げられた」、「試合前に数百人規模のデモが行われた」などと日々報じられる様子を見ていると、現地サポーターは一気に退任論に傾いているようにも受け取れますが、実際のところはどうなのか、3月に訪れた現地の様子をもとに考えてみました。(写真は現地の最有力FAN ZINE『gooner』3月発売号の表紙)
抗議行動はごく一部。中には目立ちたいだけの人も?
3月にアーセナルのホーム、エミレーツスタジアムで行われた、チャンピオンズリーグのバイエルン戦とFAカップのリンカーン戦。両者とも、試合の前後に抗議デモが行われましたが、一観客としてごく一般的な時間帯にスタジアムに行った限りでは、これという抗議集団に出会うこともなく、デモのあったこともあとから報道で知ったほどでした。スタジアム内では、後半、3点目、4点目と失点を重ねるにしたがって”WENGER OUT”のバナーを掲げる人も出始めたものの、こうしたバナーを掲げるのはいずれも少年や若者。「深い考えがあって」というよりは、「ムードに乗じて」であったり、「目立つため」(何しろこういうバナーを掲げていればカメラに捉えられます)という印象を強く受けます。
リンカーン戦、試合前のメインスタンドには、対戦相手のコウリー監督と比較する形でヴェンゲルを批判したバナーを掲げる集団が現れ、まんまとテレビカメラに映し出されていました
急進派とは相容れないが、ヴェンゲル支持とは言えない人たち
本来なら、多くの人の考えとは違う極端な行動に対しては、必ずそれに対抗する行動も出てくるのがスタジアム。多くの人がヴェンゲルを支持しているのであれば、ヴェンゲルを擁護するバナーや、ヴェンゲルを称えるチャントで退任派を封じ込めようとする人々も現れるものです。心を一つにしてサポートするべきホームスタジアムならなおのこと、多少のことには目をつぶっても、チームを支持する姿勢を見せるのがあるべき姿とも言えます。3月のエミレーツスタジアムで気になったのは、”WENGER OUT”のバナーよりデモよりむしろ、こうしたカウンター的行動がほとんど見られなかったこと。その裏側には、今まではやや強がってでもチーム、そして監督を支持してきた人々が、「もはや限界なのか」と思い始めているような様子が感じられました。
メインスタンドに、自作と思しき”WENGER OUT”のカードを1人で掲げている人。周りのリアクションは薄め
伝統あるサポーターグループ”AST”では8割がヴェンゲル続投不支持だが……
こうした現地サポーターの「気分」を表すものとして参考になりそうなデータが、3月20日〜26日にかけて実施された”Arsenal Supporters Trust(以下AST)”の会員を対象とした調査結果です。ASTは、サポーター歴数十年という年配者も多く集まるサポーターズクラブ。サポーター同士でクラブの株式を共同購入するスキームを持ち(現在は購入できる株式が存在せず、スキーム自体が中止)、会員が株主として総会に出席して直接要望を述べるなど、クラブとも直接的かつ深い関わりを持ってきた伝統的な組織です。調査結果によれば、「ヴェンゲルの監督としての新契約を支持するか」という問いに対して78%が「ノー」と回答。しかし、そう回答した心持ちについては、いわゆる一連の”WENGER OUT”報道のイメージとは少々違うようです。
ASTがWebサイトで公表している分析結果によると、「ノー」の理由としては「新しいアイデア、アプローチの必要性」「リーダーシップや指揮系統の偏り」「志が感じられない」などが挙がったものの、最も多かったのは「そういうタイミングだから」(34%)というもの。「ノー」と答えた人の9割近くがフリーコメントを残していて、その半数にはヴェンゲルに対する愛着やリスペクトなど、ポジティブな内容が綴られていた点は、この種の調査としては珍しいことだと分析されています。さらに「ノー」と答えはしたものの、6人に1人はそのことを残念と感じており、「ヴェンゲル」と関連して最もよく使われていた単語は”great(偉大な)”だったという分析結果も。ヴェンゲルを敬愛し、感謝し、迷いながらも「そろそろ変化の時だ」と考えているAST会員の姿が浮かびますが、スタジアムの雰囲気もまさにこれが最も近いという印象でした。
こちらは4月2日のマンチェスター・シティ戦の際の”WENGER OUT”派。見ている人のリアクションとしては、同調するというよりも、珍しがって写真を撮るというのが主流。ライバル相手に2対2と比較的健闘したこの試合以降は、続投派もやや勢いづいて見えた
現地サポーターならより強い?ヴェンゲルへの複雑な気持ち
サポーターのこうした反応からは、現地のサポーターから見たヴェンゲル像が、日本から見えている以上に「曲者」と捉えられていることもうかがえます。日本では、頑固ではあるが周囲への気遣いに長けた知将というイメージのヴェンゲルですが(ですよね?)、クラブに近いサポーターの話を聞くと、「何でも自分の思い通りに動かしたい人」「誰かが自分の上に立つことは我慢ならない」といった評価もちらほら。もちろん、人の心をつかむ説得力と魅力に溢れているのは事実なのですが、そのせいで経営陣もヴェンゲルに心酔しきってしまい、悪く言えば言いなりになってしまっている。そんな状況に危機感を覚えているサポーターも多いようなのです。
極端な退任論者はともかく、一般的なアーセナルサポーターなら、4年前のファーガソン監督の引退と、その後のマンチェスター・ユナイテッドの低迷を思い浮かべない人はいません。このことを引き合いに、「ヴェンゲルを退任させても、後任に値する人材などいないではないか」というのが続投派の主張ですが、これに対しては「今すぐではなく、少しずつヴェンゲルの影響力を減らしたうえでのフェードアウトが理想的」という退任派の意見もあります。いつまでもヴェンゲルに頼り切ったクラブ運営ができるわけではない。それならば、ヴェンゲルの威光に陰りが見える今こそ、この先のことを真剣に考えるべきときなのではないか。そしてできればヴェンゲル自身にも、晩節を汚すことになる前に美しく”great”なまま勇退してほしい……派手な”WENGER OUT”に隠れて沈黙している穏健な退任論者は、そんなふうに考えているように思えます。
マンチェスター・シティ戦の日にはこんなメッセージトラックも出現。”IN ARSENE WE TRUST”という続投派の標語からTRUSTのTを消し、”IN ARSENE WE RUST(ヴェンゲルはもうさび付いてる)”に変えているのがなかなかお上手
そして”WENGER OUT”は世界へ!?
バイエルン戦、リンカーン戦とスタジアム周りを騒がせた一連の”WENGER OUT”運動ですが、その次のプレミアリーグ、ウエスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦(アウェイ)では、ついにスタジアムの上空に”NO CONTRACT #WENGER OUT”(「新契約はいらない #ヴェンゲルは出ていけ」)と書かれたバナーを飛ばす飛行機が現れ、それに対抗する”IN ARSENE WE TRUST #RESPECTAW”(「我々はアーセンを信じる #ヴェンゲルにリスペクトを」。AWはArsene Wengerの頭文字)というバナーも飛び交ってますますヒートアップ。しかしその後の3月28日、ワールドカップ予選、ニュージーランド対フィジーの試合になぜか”WENGER OUT”のバナーが登場した頃からどうにもおかしなことになってきて、その後はCOLDPLAYのシンガポールライブからレッスルマニアまでいたるところに”WENGER OUT”のバナーが出現、ついにはJリーグのスタンドでも目撃情報が出るなど、”WENGER OUT”は今や世界中でオモチャになっているようです。
元を正せば2月、ロンドンを訪れたトランプ大統領に抗議するデモで”WENGER OUT”のカードが目撃されたあたりが発端と思われますが、深刻そうに見えるこんなテーマもお得意の自虐でネタに変えてしまうセンスには笑っちゃうやら呆れるやら。さすがロンドンっ子(あるいはよく訓練されたアーセナルサポーター)は一味違います。