誰よりも自分らしい自分になる。芦田創選手インタビュー

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誰よりも自分らしい自分になる。芦田創選手インタビュー

スポーティ

去年、「イチローが嫌いだ」という言葉で話題になったトヨタのCM。そこに出演をしていたのが、リオパラリンピックに出場したパラ陸上選手、芦田創(あしだはじむ)選手です。リオオリンピックから1年を経た芦田選手にお話を聞きました。

運動を禁止されても抑えられないスポーツへの情熱

—芦田選手は右腕に障がいをお持ちですが、障がいを発症したのはいつだったのでしょうか?

僕は生まれつき骨の形に異常があったみたいで、父親とキャッチボールをしていた時にボールが変な方向に飛んでしまうことがよくありました。そこで、病院で骨の奇形を治す手術をしたんです。
その時の治療に問題があったかはわからないのですが、その後から転移、再発を繰り返すような腫瘍が腕にできるようになってしまいました。

—障がいをお持ちの中で、スポーツとはどのように関わっていましたか?

腫瘍の治療のための手術を繰り返していくうちに、腕の骨が脆くなり、刺激を与えてはいけないという理由から、小学生の頃は運動をさせてもらえず、体育はほとんど見学をしていました。

ただスポーツは見るのもやるのもとても好きで、走ることへの憧れは強かったです。親の目を盗んで走ったりしていました。足はもともと速くて片腕に三角巾をして走っても負けなくて、腕のことをハンデとは思わなかったですね。走っている時は周りと対等になれている気がして、嬉しかったです。
当時の先生からは、「(運動するなと言って)抑えても抑えきれないところがあったよね。」と言われました(笑)。

僕が小学校4年生のときに、2004年のアテネオリンピックが開催して、その時に金メダルを取った北島康介さんや体操団体のことはすごく思い出に残っています。オリンピックへの憧れがありましたが、一方で手の届かない遠い夢の世界だと感じていました。

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健常者に負けないという反骨心が競技へのモチベーションへ

—運動が禁止されている中、なぜ陸上競技を始めたのでしょうか?

中学生になって、成長期に伴って腕の腫瘍が大きくなっていきました。治療を行ってはいたのですが、その治療がものすごく痛くて、自分の腕がどんどん使えなくなってくるのがわかっていくんです。
それでもなかなか腫瘍がなくならなくて、次の治療方法はもう腕を切り落とすしかないとお医者さんに言われた時に、「それなら腕があるうちにやりたいことをしたい」との思いで、中学3年生に陸上部に体験入部しました。
そしたら腫瘍が、ほとんどなくなっちゃったんです(笑)未だに根拠はわからないですが、僕は運動したことによって免疫力が上がったのと、心が明るくなったことが理由かなと思っています。

高校に入ってからは、陸上部に入部して本格的に陸上競技を始めました。一般の陸上部で400mを専門として、1年生でいいタイムが出て、あいつは全国に行くだろうと言われていました。自分が輝けるフィールドを見つけた、と思いましたね。
当時は健常者には絶対負けたくないって気持ちが、一番のモチベーションになっていました。

—一方で怪我にもすごく苦しんだと聞きました。

左右のバランスが悪いことで怪我は本当に多かったです。
全国大会を期待されていた高校1年生のときの大阪の新人戦では歩けなくなるくらい腰を痛めてしまいました。その後高校2年生のときにはレース中に肉離れを起こしてしまいました。


パラアスリートとしての自分への葛藤

—健常者と勝負していた芦田選手はなぜパラへの転向をしたのでしょうか?

高校2年の時の合宿で、パラ陸上選手の山本篤さんと出会って、パラに来いと言われました。それまではパラの存在を知らなかったのですが、高校3年のときのインターハイの予選が終了して、折角誘われたし一度くらい行ってみるかという気持ちで、2ヶ月後にパラの大会に出場したら日本記録で優勝したんです。
でもそこで、自分へのハンデがない世界はこんなに面白くないのかと思ったんですよね。いつも健常者に負けたくないという思い陸上をやってきたのに、パラの世界は自分が障がい者だと受け入れざるを得ない。それで張り合いがなくなって、完全にやる気スイッチがオフになってしまいました。
当時、パラリンピックでもメダルが取れる位のタイムを持っていたにも関わらず、その後の大会でタイムが全く出なくなり、ロンドンパラリンピックの代表選考も落選。陸上から離れて行きました。

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リオパラリンピックではパラ競技に誘った山本篤選手とともにリレーで銅メダルを獲得

—大学に入ってからは陸上をやめてしまったんですか?

大学に入ってからは、競技とは関係のないサークルに入って大学生活をエンジョイしていました(笑)。陸上をやらなくなってからは、いきなり取り柄のない大学生になった感じがして、陸上ではない違う面白いものを探すために、遊びまくりましたね。
そんな時にロンドンパラリンピックをみて、かっこいいなと思い陸上部で練習するようになったんです。1年くらいブランクがあったので、素人同然からのスタートでした。結局サークルで遊んでいても全く面白くなかったんだな、やはり陸上をやっている時が一番面白いなと気付きました。

ただ、その後出場したパラの大会ではあまり練習しなくても勝ててしまって。そうするとまた張り合いがなくなってくるんですよね。
2013年の世界選手権には出場はできたんですが、予選は最下位。でも「出れて満足だし、そんなに本気じゃないし」みたいな気持ちがあったせいか全然悔しくなかったんです。そんな気持ちでやっているから、次のアジア大会は代表選考落ちし、この世界で続けていくのは厳しいと思い、陸上を辞め、周りと同じように就活を始めました。

見つけた自分のアイデンティティ

—そんな中、再びやる気スイッチが入ったキッカケは何だったんでしょうか?

就活やってて思ったのが、「就活おもんな!」ってことでした(笑)。今まで人と違うことを求めて生きてきたのに、なんで周りと同じ服を着て、同じ髪型をして、同じ発言をしなければいけないんだと。
ただそれと同時に、右手が使えないことは自分のアイデンティティだと気付きました。今まで障がいを持っている自分にネガティブな捉え方をしていたんですけど、ポジティブに考えたらすごく武器になるなと。その時始めて、障がい者である自分を受け入れられた気がします。
そこからは自分の名刺、プロフィールを作り、自分を売り込むようになりました。自分を売り込むようになってから、自分にとって、パラ陸上は一番の武器なんだ、2020年に出ることは自分の夢なんだと気付いて、やる気スイッチが入りました。

そこで、大学4年から陸上部に入ったんです。普通、4年生で入部なんてありえないんですけど、監督にお願いをして、本格的にトレーニングを開始しました。
このタイミングで、新しいことに挑戦してみようとの思いで、400mから幅跳びへ転向しました。

リオでの悔しい思いと2020への思い。そしてその先にある世の中の価値を変えるということ

芦田選手はリオパラリンピックへの出場権を獲得し、自らをパラ競技に誘ってくれた山本篤選手らと出場した4✕100mリレーでは銅メダルを獲得しました。しかし、専門の走り幅跳びでは予選落ちと、思うような結果を残せず悔しい思いをしました。

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—リオパラリンピックでは専門の走り幅跳びでの結果が非常に悔しかったと聞きましたが、どういう思いで本番を迎えたのでしょうか?

大学4年生の頃から、子供達に向けて自分のスランプの時期や陸上をやるきっかけなどを伝えるため、講演を行うようになりました。講演活動を通して、リオパラリンピックで結果を出すと話してきましたし、応援してくれる周りの人たちのためにも頑張らなきゃと言う思いでリオの出場権を獲得したのですが、本番が近づくにつれて、人のためにやっているのか、自分のためにやっているのかわからなくなってしまったんです。
そんな心境で競技に挑んだからか、走り幅跳びでは、予選落ちしてしまいました。身体は作れていて自信もあったのに、本番で気持ちに迷いが出てしまったように思います。
自分のためか人のためか考えるんじゃなくて、自分のためにやった先に結果が付いて来れば、応援してくれている人たちも喜んでくれるということが、あの時はちゃんとわかっていなかったんでしょうね。

芦田選手は、リオパラリンピック後の今年の3月に、7m15cmという日本記録を出します。一方で、怪我を抱えながら出場した世界選手権ではリレーと三段跳びでメダルを獲得することはできましたが、自身がもっとも強い思いを持っている走り幅跳びでは、メダルに届かず5位という結果でした。

—2020年の東京オリンピックに向けての目標を教えてください

金メダルしか考えてないです。
そのために、怪我をしないということを心がけていきたいと思っています。身体の右と左の質量が1.5kg〜2kg違うので、怪我をよくしてしまいます。片手に2Lのペットボトルを持ちながら走っている感じなので、バランスが崩れやすいんです。
また、世界のトップ選手と比べると、僕は100mのタイムが遅いので、走りを突き詰めていきたいです。7mジャンパーの中では助走のスピードが遅い僕が、スピードを上げられれば記録はもっと伸ばせると思っています。

金メダル以上の夢は、健常者に混ざって日本選手権のような大きな大会に出ることです。これはパラリンピックで金メダルを取ることより難しいと思いますが、そこを目指すことに価値はあると思っています。パラアスリートの僕が、オリンピックの選考会である日本選手権に出た時に、世の中の価値がどう変わるのかが楽しみです。

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障がいを持っていない人に負けたくないとの思いで陸上を始めた芦田選手は、今は誰かと比べるのではなく、「自分らしさ」というアイデンティティを作り上げるために、2020を目指して戦っています。
彼が健常者と日本最高の舞台で切磋琢磨する時、障がいを持っている人と持っていない人との新しい関わり方が見えてくるのではないでしょうか。


2020 パラリンピック 日本代表 陸上競技