自分次第で世界が広がる。二條実穂選手インタビュー

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自分次第で世界が広がる。二條実穂選手インタビュー

スポーティ

大工の棟梁として家づくりに携わっていた二條選手。仕事中の怪我で車いすでの生活を余儀なくされます。退院後すぐに車いすテニスをはじめ、現在は数多くの世界大会に出場するプロのプレイヤーとして活躍中です。昨年開催したリオデジャネイロパラリンピックではダブルスで4位に入賞しました。

今回は二條選手に大工時代からパラリンピックを目指した経緯、そして今後の目標について聞きました。

女性目線の家づくりをしたい!大工の世界へ

ーー大工の棟梁を志した経緯を教えてください。

元々ものづくりが好きだったこともあり、家にいる時間が長い主婦の方が使いやすい、女性目線の家づくりをしたいと思っていました。まずは自分自身で作る側を経験したいという思いから、棟梁を志しました。

地元・北海道旭川の住宅メーカーに就職し、翌年には棟梁として現場を任せてもらい、合計で約5年ほど大工として働きました。

ーー建設の現場仕事は、男性が中心の職場というイメージがありますが、女性が働く難しさはありましたか?

最初は認めてもらうのが少し難しかったかなと思います。そこで心がけていたのは、現場の中で自分ができることはなんなのかを考え、全力を尽くす、それを続けることで周りに認めてもらえるようになりました。


ずっと好きだったテニスは車いすでも続けられる

ーー仕事中の事故で車いす生活になってから、競技を始めるまでの経緯を教えてください。

中高はソフトテニス部で、その後、働いていた時もテニススクールに通うくらい、元々テニスが好きでした。大工に戻れないというショックな気持ちと同時に、ずっと続けてきたテニスもできなくなるのは辛く感じました。しかし、入院中に車いすテニスを知って、またテニスができるということはすごく嬉しかったです。

入院時から、北海道車いすテニス協会に「旭川に車いすテニスを始めたいという女性がいる」という話をしてもらっていて、退院をしたその週から競技を始めることができました。

もちろん、初めは車いすの操作から初心者でしたので、慣れるまでが大変でしたが、「車いすテニスができる」という喜びが圧倒的に大きくて、操作がうまくいかないことはハードルにはなりませんでした。

ーー二條選手が車いすテニスを続けるにあたって、環境面で苦労したことはありますか?

私の場合は苦労は少なかったと思います。退院してからは、会社に復帰しました。大工には戻れませんが、フランチャイズ部門で業務を続けました。私が車いすテニスに取り組んでいることを知って、会社がテニス部を立ち上げ、練習コートを借りてくれたり、社長も含め、テニス経験者が練習相手になってくれたりしました。会社が練習環境の提供をしてくれたことは本当に感謝しています。

世界を知って、パラリンピックでのメダル獲得が目標に

ーー車いすテニスを始めて、パラリンピックを目指し始めたのはいつだったのでしょうか。

初期からずっと目指していました。車いすテニス競技を始めた2004年に、まずは世界を知ろうと思い、海外遠征に行きました。その際、不動の女王とも呼ばれるエスター・バーガー選手(オランダ)の試合を目にして、「自分もいつかこの選手に近づきたい」と思ったんです。この時の自分の成績はというと、初戦敗退だったと思います。自分の実力とのギャップを知ったことで、新たな目標も見えました。


ーー海外遠征にも頻繁に行かれていますが、海外で大変なことはありますか?

海外遠征はほとんどが1人で行くので、ラケットなど用具類の荷物がとにかく多いので移動は少し大変です。あとは語学も海外遠征に行くようになってから習得しました。もともと英語は苦手な方だったのですが、夢があるから勉強も頑張ることができました。

ーー車いすテニスの魅力はどんなところでしょうか。

車いすテニスは対戦相手が健常者であっても成立する競技なので、バリアフリーなスポーツだと思いますし、健常者も障がい者も一緒にできるというところがとてもいいと思います。

ーー二條さんはどのようなプレースタイルなのでしょうか。

どちらかというと攻めていくタイプのプレースタイルです。相手のミスを待つというより自分からゲームメイクしていきたいので、積極的にポイントを取りに行きます。ただリオでプレーする中で新しい発見があり、ゲームメイクについての考え方が、今までと少し変わった部分もあります。



ーー試合で追い詰められている時、どう言った気持ちで乗り切っているのでしょうか。

追い込まれているときはポジティブシンキングで乗り越えます。テニスだけでなく、何に対してもそういう考えがあるのですが、何が起きるかわからないし、最後までやり抜く気持ちと、一つでも多くボールを拾うことを意識しています。可能性は自分自身の中で諦めてしまったらなくなってしまうものなので、諦めない気持ちを強く持っています。

自分次第で世界が広がる。二條選手の想い

ーー講演活動やイベントへも参加されていますが、どのようなことを伝えようと意識していますか。

私が大工を目指している時は、日本一の大工さんを目指していました。そこから、怪我をして、車いすになって、物理的にできないことは前より増えています。でも、エスター・バーガー選手に出会って、私もパラリンピックでメダルを獲り、世界一になりたいというビジョンが広がりました。

子供達には、自分の気持ちや、やる気で世界は広がることを知ってほしいし、自分の夢の幅は自分が決めるものということをお伝えしたいです。

そして自分自身も周りの方からもらった言葉で勇気付けられたように、私の話を聞いてくれた人が、心に何か一つでも残るものがあったらいいなと思っています。

ーー最後に、2020東京パラリンピックに向けて、目標を教えてください。

若い選手がどんどん出てきているので厳しい戦いになるとは思いますが、母国開催なので出場への想いはいっそう強いですし、いつも支えてくださっているみなさんに恩返しできるよう、メダル獲得を目標に頑張ります。





インタビュー:萩原拓也(Sportie編集部)
文・インタビュー中写真:五十嵐万智(Sportie編集部)

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