シアラーの移籍金6倍がポグバの!?プレミアリーグの移籍金変遷の歴史
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プレミアリーグ2017-18シーズンは、マンチェスター・シティFCの独走となりました。誰が出場してもクオリティが下がらないチームだけに、メディアや評論家の多くはこのまま優勝に向かって突き進むと予想しているようです。
しかし、ペップ・グアルディオラ監督は、ベルギー代表DFヴァンサン・コンパニ、 イングランド代表DFジョン・ストーンズ、フランス代表DFバンジャマン・メンディを負傷で欠いた最終ラインを不安視しています。ペップ・グアルディオラ監督は「守備の選手が少なすぎる。この状態で全てのゲームをこなそうとすれば大変なことになる。」と述べました。これは、冬の移籍市場における新戦力獲得を示唆した言葉だったのではないでしょうか。
メイン写真クレジット(PHOTO by Светлана Бекетова)
初の「1000万ポンドプレーヤー」はアラン・シアラー
2017年の夏に、FCバルセロナのネイマールが、2億2000万ユーロ(約293億円)というとてつもないワールドレコードで、パリ・サンジェルマンに移籍してからは、欧州の相場は軒並み上昇しました。プレミアリーグでも、ロメウ・ルカク(エヴァートンからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍)の7500万ポンド(約113億円)を筆頭に、アルバロ・モラタ(レアル・マドリードからチェルシーへ移籍)の6000万ポンド、DFとしては史上最高額となったバンジャマン・メンディ(モナコからマンチェスター・シティFCへ移籍)の5200万ポンドなど、今までにはめったに見られなかった高額の取引が相次ぎました。
スウォンジー・シティAFCからエヴァートンFCに移籍したギルフィ・シグルズソンの獲得金額は、4500万ポンド(約67億5000万ポンド)と報じられていますが、以前の相場なら、3000万ポンド程度で収まっていたのではないでしょうか。最近のプレミアリーグの移籍金レコードを見ると、2016年にユヴェントスFCからマンチェスター・ユナイテッドに買い戻されたポール・ポグバの8900万ポンド(約134億円)となっています。
では移籍金の額は、いつからこんなに高騰したのでしょうか。
初めて1000万ポンドを超えて話題になったのは、1996年にブラックバーン・ローヴァーズFCからニューカッスル・ユナイテッドFCに移籍したアラン・シアラーでした。
1990年代の前半までは、高い選手でも700万~800万ポンド(現在のレートで12億円)で取引されていたのですが、アラン・シアラー獲得に必要だった額は1500万ポンド(約22億5000万円)となりました。それまでの最高記録は、前年にリヴァプールFCに加わったスタン・コリモアの850万ポンドだったことからも、この金額が如何に異例だったかがわかります。
アラン・シアラーの移籍は、現在の私達が、ネイマールに驚かされたようなインパクトがありました。アラン・シアラーは、ニューカッスル・ユナイテッドFCに入団したシーズンから3年連続で得点王に輝いており、イングランドの北端のクラブにとって、高い買い物ではなかったことを証明しました。今年の2月に「インディペンデント」のインタビューを受けたシェファード会長は、「クラブにとって最高の補強はシアラーだった」とコメントしています。
ニューカッスルで10年を過ごしたアラン・シアラーは、プレミアリーグ歴代1位の260ゴールという記録保持者(PHOTO by Carlton Reid)
穏やかだった2000年代。移籍金相場を変えたのはクリスティアーノ・ロナウド!
アラン・シアラーの後、プレミアリーグの高額移籍金記録が、塗り替えられたのは1999年でした。アーセナルFCからレアル・マドリードに移籍したニコラ・アネルカは2250万ポンド(約33億8000万円)、2001年には、マンチェスター・ユナイテッドFCが、SSラツィオのファン・セバスチャン・ベロン獲得のために、史上最高の2810万ポンド(約42億円)を支払いました。ですが、史上最高額で移籍したファン・セバスチャン・ベロンは、チームのセントラルMFというスタイルにうまく適応できなかったせいか、在籍2年でプレミアリーグ51試合7ゴールと失敗に終わります。
それに対し翌年の夏に、リーズ・ユナイテッドAFCから連れてきた2910万ポンド(約44億円)のリオ・ファーディナンドは大成功を収めました。12年の長きにわたり、赤いユニフォームを纏い続けた元イングランド代表のCBは、黄金期を迎えていたクラブに19個のタイトルをもたらしました。
リオ・ファーディナンドはマンチェスター・ユナイテッドで455試合に出場(PHOTO by James Adams)
2006年に3080万ポンド(約46億円)でチェルシーFCに入団したアンドレイ・シェフチェンコは、シアラー以降に高額取引のレコードとなった選手の中で、最も期待外れに終わった選手ではないでしょうか。前シーズンにACミランでセリエA28試合19ゴールという素晴らしい数字を残していた快足ストライカーは、チェルシーにいた2年ではプレミアリーグ47試合9ゴールと得点力を発揮できませんでした。
2008年に、3250万ポンド(約49億円)まで記録を引き上げたマンチェスター・シティFCのロビーニョも、初年度こそプレミアリーグ14ゴールとまずまずの活躍を見せたものの、2年目は10戦ノーゴールと終わりました。クラブの合宿を抜け出してブラジルに帰るなど、トラブルで話題になることも多く、力を発揮したとはいえませんでした。
2001年のベロンから7年後のロビーニョまでは400万ポンドしか増えておらず、とても穏やかな時代だったといえます。「欧州No.1」といわれるあの男、クリスティアーノ・ロナウドがスペインに行くまでは…。
クリスティアーノ・ロナウドはチャンピオンズリーグとクラブワールドカップを3回制覇。実は安かった!?(PHOTO by Ray Booysen)
サッカービジネスの急成長で、選手の値段は急激に高騰
2009年、マンチェスター・ユナイテッドのクリスティアーノ・ロナウドが8000万ポンド(約120億円)でレアル・マドリードに移籍しました。2001年にジヌディーヌ・ジダンがユヴェントスFCからレアル・マドリードに渡った際のワールドレコード4660万ポンドを大きく上回る破格の高額取引でした。
中東、アメリカ、ロシアなどの富豪によるクラブ買収、テレビ放映権料やスポンサーフィーの高騰などを背景に、サッカークラブが選手獲得に使えるお金は急激に膨らみ、スペインの強豪クラブは相場引き上げの引き金となりました。4年後の2013年には、ガレス・ベイルのレアル・マドリード入団時に8500万ポンドが動いたといわれています。
2014年にリヴァプールからバルセロナに入団したルイス・スアレスが7500万ポンド、同じ夏にマンチェスター・ユナイテッドに来たディ・マリアは5970万ポンド(約90億円)、2015年にマンチェスター・シティへの移籍志願が話題になった元リヴァプールのラヒム・スターリングは5520万ポンド。ベイルの後に続けとばかりにプレミアリーグ関連の大型移籍が続出し、直近2年のポール・ポグバ、ネイマールに続きました。
欧州主要国の代表クラスを獲得しようとすると、5000万ポンドは覚悟しなければならなくなった昨今ですが、プレミアリーグ2015-16シーズンのMVPリヤド・マフレズがレスター・シティFCに入団したときの移籍金は40万ポンド(約6000万円)。昨季のMVPエンゴロ・カンテを1年前に獲得したレスター・シティFCは、560万ポンド(約8億4000万円)で買い、3200万ポンド(約48億円)で売っています。
パリ・サンジェルマンFCからマンチェスター・ユナイテッドに移籍して、46試合28ゴールと結果を出したズラタン・イブラヒモヴィッチは移籍金ゼロ円。マンチェスター・ユナイテッドにすっかり馴染んでいたウェイン・ルーニーもゼロ円でエヴァートンFCの復帰を果たしています。ソル・キャンベル、ピルロ、レヴァンドフスキ、クローゼ等過去にもあまりにお得だったゼロ円選手がおり、選手の売買は純粋な価値だけでなく、縁やタイミングも重要だとあらためて感じます。来年夏にアーセナルとの契約が切れるアレクシス・サンチェスとエジルは、ここに名を連ねることになるのでしょうか。
来年の夏には、高額移籍金でもゼロ円でも話題になるマンチェスター・ユナイテッドが、新たなサプライズを巻き起こしてくれるかもしれません。