コロンビア サイクリスト大国の秘密

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コロンビア サイクリスト大国の秘密

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自転車レースの本場はヨーロッパです。しかし、近年ヨーロッパ以外の出身の自転車選手が、数多く活躍しています。その中でも特に目を引くのが、南米コロンビアのサイクリストたちです。

Nairo Quintana(ナイロ・キンタナ)とDayer Quintana(ダイエー・キンタナ)の兄弟やJarlinson Pantano(ジャリンソン・パンターノ)、Rigoberto Uran(リゴベルト・ウラン)、Esteban Chaves(エステバン・チャベス)、そして、スプリンターのFernando Gaviria(フェルナンド・ガビリア)など、たくさんのコロンビア人選手の名前は日本でも知られています。しかし、現在のコロンビア人サイクリストのヨーロッパでの活躍は、長い年月と経験の積み重ねによって、成し遂げられたものです。

この記事では、コロンビア人サイクリストが、いかにしてヨーロッパの自転車レース界に大きな影響を与えるようになったのかという歴史をみていきます。(メイン写真 Photo by Yukari TSUSHIMA.)

1950年代から1970年代:黎明期そしてヨーロッパのレースへ

コロンビアの自転車レースの歴史は、1951年から始まります。この年からVuelta a Colombia (ブエルタ・ア・コロンビア)が開催され、Efraín Forero Triviño(エフレイン・フォレーロ・トリビーニョ)が初代コロンビア・チャンピオンになります。

また、1953年には、Ramon Hoyas Vallejo (ラモン・ホヤス・バリェホ) がコロンビア人として、そして、ラテンアメリカ出身の選手として初めてツール・ド・フランスに出走します。しかし、コロンビア選手がヨーロッパのグランツールで活躍するのは、もう少し後になってからのことでした。

バリェホのツール出場から20年後の1973年、Martín Emilio Rodríguez(マルティン・エミリオ・ロドリゲス)がジロ・デ・イタリアの第15ステージを制します。彼はコロンビア人サイクリストとして、最初のグランツールでのステージ優勝者となりました。*¹

参考資料1: http://www.colombia.co/esta-es-colombia/talento/deportistas/colombia-cuna-de-grandes-ciclistas/

1980年代から1990年代:コロンビア選手のヨーロッパでの台頭

コロンビア選手がヨーロッパのレースで本格的に台頭してくるのは、1980年代後半になってからです。まず、1986年、ツール・ド・フランスに、26人のコロンビア人サイクリストが出走しました。*²

そしてその翌年に、Luis Alberto Herrera(ルイス・アルベルト・エレラ)がコロンビア人として初めて、ブエルタ・エスパ―ニャで総合優勝を成し遂げます。

また、1988年にはFabio Parra(ファビオ・パッラ)がツールで第3位になり、コロンビア人として初めて表彰台に登りました。また、彼は1989年のブエルタ・エスパ―ニャでも総合2位になるなど、ヨーロッパでの3週間のレースで強さを発揮しました。*³

参考資料2:https://www.elespectador.com/deportes/ciclismo/de-kurosawa-saldarriaga-los-siete-magnificos-del-ciclismo-colombiano-articulo-701342
参考資料3: https://tuvalum.com/blog/ciclistas-colombianos-80


Fabio Parra。2015年、スペイン・オルディジアで開催されたクラシカ・マリーノ・レハレッタという元サイクリストが集まるイベントにて (Photo by Yukari TSUSHIMA.)

90年代になると、コロンビア人サイクリストのヨーロッパでの活躍は、もはや驚くべきことではなくなります。Oliverio Rincón Quintana(オリベイロ・リンコン・キンタナ)は1994年のブエルタで総合第4位になった名クライマーでした。また、Álvaro Mejía(アルバロ・メヒア)は1993年にツールで総合4位になります。

このように、1990年代にはコロンビア人サイクリストをヨーロッパのレースで見ることは、珍しいことではなくなりました。しかし、そうしたサイクリストのヨーロッパ進出は、個々のサイクリストの決断によって実現されたものでした。つまり、驚くべきことに、このころまでコロンビアが国として自国の選手をバックアップし、組織的にヨーロッパへサイクリストを送りこんでいたというわけではなかったのです。*⁴

しかし、1980年代からの彼らの活躍により、コロンビアで自転車レースが一気に人気のスポーツになりました。そして、そのような環境の中で生まれ育った選手が、現在のキンタナ兄弟やガビリアやチャベスのような、コロンビア人サイクリストの世代となるのです。

参考資料4:https://drugstoremag.es/2017/06/luces-y-sombras-del-escarabajo-breve-historia-del-ciclismo-colombiano-ii/

2000年代から今日:絶え間ない挑戦の果てに


コロンビアのプロチームEl equipo Colombia es Pasión -472 -Café de Colombia。2013年のブエルタ・カスティーリャ・イ・レオンにて。 (Photo by Yukari TSUSHIMA.)

2000年代から、コロンビアの企業がスポンサーとなった自転車チームが、ヨーロッパの自転車レースに参加し始めます。その中でも、特に目立った活躍をしたのが、「El equipo Colombia es Pasión(エル・エキーポ・コロンビア・エス・パッション)」というチームでした。

このチームは、2007年に設立されました。そして、2015年にManzana Postobónにスポンサーが変わるまでの間、Nairo QuintanaやSergio Luis Henao(セルジオ・ルイス・ヘナノ)、Esteban Chaves、Jarlinson Pantano、Darwin Atapuma(ダーウィン・アタプマ)など、数多くの選手がこのチームを足掛かりにして、ヨーロッパのプロツールのチームへと活躍の場を広げました。

このチームは、当初、コロンビア政府のバックアップを受けていました。しかし、2010年に突然、政府からの支援が途絶えてしまいます。しかし、そうした経済的な危機にも関わらず、チームはヨーロッパでのレースに挑戦し続けました。その結果、プロツールのチームに何人ものサイクリストを送りだすことに成功したのです。そうした、絶え間ない挑戦が、Nairo Quintanaのジロ・デ・イタリアとブエルタ・エスパ―ニャの制覇へとつながります。


ジュニア世代のコロンビアのチーム。17・18歳のころから、ヨーロッパのレースを経験します。( Photo by Yukari TSUSHIMA.)

現在も、コロンビアチームによる、コロンビア人サイクリストのヨーロッパのレースへの挑戦は続いています。特筆すべきは、プロのレベルだけでなく、16・17歳のコロンビア人サイクリストのチームが、スペインでレースをしているということです。彼らのような若い世代のコロンビア人サイクリストは、ヨーロッパのレースで走ることを「当然やるべきチャレンジ」としてとらえているようです。

コロンビア人サイクリストの活躍は、これからも続くことでしょう。その背景には、半世紀以上前からヨーロッパの自転車界に挑戦し続け、道を切り拓いたサイクリスト達がいたのです。

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