Ordiziako Klasika-Prueba Villafranca(オルディジアコ・クラシコア―プルエ バ・ビリャフランカ)レースレポート

Ordiziako Klasika-Prueba Villafranca(オルディジアコ・クラシコア―プルエ バ・ビリャフランカ)レースレポート WATCH

Ordiziako Klasika-Prueba Villafranca(オルディジアコ・クラシコア―プルエ バ・ビリャフランカ)レースレポート

スポーティ

笑顔のチーム右京の選手たち。その理由は、観客席から選手へ向けての応援が、非常に盛り上がっていたためでした。選手の出走前サインは、朝9時から始まるにもかかわらず、毎年オルディジアの自転車ファンは、熱狂的に選手たちを出迎えます。(メイン写真 Photo by Yukari TSUSHIMA.)

バスク地方の自転車レース‐Ordiziako Klasika-Prueba Villafranca

スペインのバスク地方は、熱狂的な自転車ファンが多い土地として知られています。大小合わせて、様々な自転車レースが開催されており、今年のツール・ド・フランス第14ステージで優勝したオマール・フレイレ(Omar Freire)もこの地方の出身です。

そうした地域に、ヨーロッパでも有数の歴史を持つ自転車レースが存在するのは、驚くべきことではありません。Ordiziako Klasika-Prueba Villafranca(オルディジアコ・クラシコア―プルエバ・ビリャフランカ)と呼ばれるこのレースは、今年で95回目の開催を迎えたスペインで2番目に古い歴史を持つ自転車レースです。

このレースの舞台は、サンセバスチャンからほど近い、Ordizia(オルディジア) という村です。この村の広場が、レースのスタートおよびゴール地点となります。レース中は、この場所を45分おきに全部で、5回も選手たちが通過しますので、自転車ファンにとって、非常に観戦しやすいレースでもあるのです。

コース解説‐登って下ってまた登る

このレースでは、選手たちは1周約32kmのコースを5周します。近隣の山岳部を走るため、絶え間なくアップ・ダウンが続きます。

Ordiziaは、この地方の地元の言葉であるバスク語での表記。いわゆる「スペイン語」と呼ばれる言葉(カスティリャーノ)ではビリャフランカVillafrancaという名前になります。

そして、こちらがプロフィール・マップです。

登りの最大の難所は、レース後半に2回出てくるアルト・デ・アルツォ(ALTO de ALTSO)であり、その斜度は15パーセント。一方、レース中に選手たちが5回登ることになるアルト・デ・アルバルツイスケタ(ALTO de ALBALTZISKETA)の最大斜度は、10パーセントです。基本的に、レース中はひたすら登って下ることを繰り返します。

*参考資料 http://www.ordizia-pruebavillafranca.com/ficheros/pruebas/ficheros/Libro%20de%20ruta%202018.pdf

日本チームの参加 ‐チーム右京-


出走前のサイン台に近づくチーム右京の選手たち。(Photo by Yukari TSUSHIMA.)

このレースには、プロツールのチームであるミチェルトン・スコット(Mitchelton-Scott)とモービースター・チーム(MOVISTAR TEAM)を筆頭に、13チームが参加しました。

日本からは、チーム右京が参加しました。出走した選手は、ゼッケン番号順に、ベンジャミン・プラデス選手、ロドリゴ・アランケ選手、マーク・デマール選手、平塚吉光選手、オスカー・プジョル選手、吉岡直哉選手の6人です。昨年のこのレースで、ベンジャミン・プラデス選手が2位で表彰台に上っています。

またスペイン人3選手は、このコースを熟知していることに加えて、パブロ・ウルタスン監督は、現役時代の2009年にこのレースで3位になった実績があります。彼らにとって、十分なじみのあるコースであるといってもよいでしょう。

レース展開のカギ‐ミチェルトン・スコットとモービースター


ミチェルトン・スコットの選手たち。出走前のサイン台で、地元の自転車ファンと。(Photo by Yukari TSUSHIMA.)

この日のレース展開のカギを握るのは、ミチェルトン・スコットとモービースターの2チームです。ミチェルトン・スコットは2年前のこのレースの優勝者であるサイモン・イェテス(Simon Yates)を今年ののエースに指名しました。一方のモービースターは、今年のジロ・デ・イタリアやツール・ド・スイスでアシスト役を務めた、地元バスク出身のビクトル・デ・ラ・パルテ(Víctor de la Parte)がエースナンバーを背負います。


写真手前左側のブルーの選手がビクトル・デ・ラ・パルテ選手。(Photo by Yukari TSUSHIMA.)

両選手とも登りが得意で、すでにこのコースは経験済みです。とは言え、2年前に同じレースの優勝経験のあるサイモン選手の方が、若干有利と言えるのかもしれません。

レース展開-逃げた選手が有利な展開に。


一番最初に飛びだした先頭集団の5人。(Photo by Yukari TSUSHIMA.)

レースは、スタート直後に5人の選手が飛び出して先頭集団を形成します。続いて20人ほどの選手が第2グループをつくり、5人の先頭集団を追い始めます。この時点で、各チームから1人か2人は逃げ集団に選手を送りこんだため、主要選手を抱える第3集団の中から、積極的にレースをコントロールして先頭集団との差を縮めようとするチームが現れないまま、レースは進みました。

結局、先頭集団に選手を送りこんでいたミチェルトン・スコットにとって、有利な形でレースは展開します。そして、3周目から、すべての集団のスピードが上がり始めたため、レースについていけない選手が続出します。


ラスト1周!!(Photo by Yukari TSUSHIMA.)

レースは、ゴールまでラスト3㎞となった地点で、ミチェルトン・スコットのロバート・パワー(Robert Power)選手とサイモン・イェテス選手が同時に飛び出し、ゴールまでそのまま2人で独走します。


ゴールの瞬間の写真。優勝したロバート・パワー選手(右)とサイモン・イェッテス選手 (左)。ミチェルトン・スコットの1·2フィニッシュ。(Photo by Yukari TSUSHIMA.)

最後はサイモン選手がロバート選手に優勝を譲る形で、ミチェルトン・スコットのワン・ツー・フィニッシュが決まりました。その2人のゴール後、集団スプリントを制し3位になったのは、イスラエル・サイクリング・アカデミーのクリス・ネイランズ(Krists Neilands)選手でした。


表彰台の様子。左からサイモン・イェッテス選手、ロバート・パワー選手、クリス・ネイランズ選手。(Photo by Yukari TSUSHIMA.)

ちなみに、もう一方の優勝候補を抱えていたモービースターは、優勝争いに絡むための動きがほぼできなかった状態でした。ゴールした後のこのチームの選手たちの表情が、自転車レースの難しさを物語っているようでした。


ゴール直後のムービースターの選手たち。(Photo by Yukari TSUSHIMA.)

サバイバルレースだった今年のレース

特筆すべきなのは、今年このレースが例年以上に厳しいものであったことです。スタート時には90人の選手がいましたが、レースを終えることができたのはわずか58選手だけでした。つまり35パーセント以上の選手が今年のレースを途中でリタイアせざるを得なかったのです。

もちろん、このレースのコース自体が厳しいものであることも事実です。しかし、それ以上に、レース展開によってその厳しさが何倍にも増幅されることを示した今年のレースでした。