少年院の中で立てた目標を達成しプロに。37歳キックボクサー・駿太選手インタビュー前編

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少年院の中で立てた目標を達成しプロに。37歳キックボクサー・駿太選手インタビュー前編

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柔道やレスリング、テコンドーなどオリンピック競技から、総合格闘技や相撲など、エンターテインメントとして成立しているものまで、世界にはさまざまな格闘技があふれています。

キックボクシング界でプロとして19年目を迎え、今なお成長中の駿太選手は、いかにして競技に出会ったのでしょうか。

37歳を迎えた駿太選手の半生に迫るインタビュー前編では、不良に目覚めた中学生時代から、思春期に過ごした少年院でのこと、プロデビュー戦のことまで包み隠さず語ってもらいました。

中学2年生で不良に、高校は退学

ーー競技歴を教えてください。

18歳から始めて19年目、プロとしては今17年目です。(インタビューは2019年4月に実施)

ーー子供の頃は格闘技をしていなかったのですか?

中学2年生のときに、今所属している谷山ジムに本当に少しだけ入っていました。キックボクシングをやりたいなと思って。平塚に住んでいたのですが、当時近くに出来るジムがなく、伊勢原の谷山ジムに。でも、練習が大変なイメージがあったのと、その頃、不良になっちゃったので、ほとんど行きませんでした。
あと、忘れていましたが、合気道と少林寺拳法をやっていました。名古屋に住んでいたときに合気道をやっていて、小学4年生のときに平塚に引っ越してきたら近くに合気道がなかったから、少林寺拳法を。格闘技歴っていうとそうなりますね。

ーー不良時代の話は後ほどゆっくり聞かせてください(笑)。合気道を始めたきっかけは?

母の勧めかな。それとも自分でやりたいって言ったのかなぁ。覚えていませんが、親友と二人で一緒にやっていました。

ーーどんな子供でしたか?

人と話すのが好きでした。ドッチボールなど、身体を動かすのも好きだったかな。名古屋ではずっとドッチボールしかしていなかったんですが、平塚に来てからサッカーを始めました。大原フットボールクラブっていうクラブチームに入っていたんですが、そのときに、俺って人よりも運動神経が鈍いと気づいて(笑)。足は遅いし、人より下手だったけど、楽しかった。好きでしたね。でも、人よりも長距離走だけは速かったんです。今でもその名残はあって、スタミナには自信があります。
中学校でもサッカー部だったんですが、練習に行った記憶はありません。でも、卒業アルバムのサッカー部の集合写真には載っているんですよ(笑)。


中学2年生のときに友人と撮った1枚。

ーー中学2年生で不良の道に進んだとのことですが、なぜでしょう?

1つ年上の先輩がそういうような服を着ていて、それを見て「カッケー!」と思って。ボンタンとか短ランとか。

ーーどういうところがかっこいいと思ったのですか?

見た目が人と全く違うとこですね。人と違うことをしていて、かっこいいと思って。そこから僕もボンタンを履き始めて、最初学ランは中ランっていうちょっと短いやつから始めたんですが、どんどん拍車がかかってボンタンのサイズが広がっていったりとか、みんなの制服とは違うようになっていきました。どんどんステップアップしていった感じですね。いや、ステップダウンなのかわからないけど、僕としてはステップアップ(笑)。

ーーそのような制服はどのように手に入れるのですか?

買うところもあるし、最初は先輩にもらって着るようになりました。それにさらに刺繍を入れて、どんどん派手に。もともと目立ちたいっていう欲が強かったのかな。その欲が爆発していって、とにかく目立つことだったらなんでもやりたいと思っていました。人と違う格好をして、授業も出なかったし、先生と喧嘩したりとか、いろいろやっていっちゃったり。

ーー中学校生活は楽しかったですか?

楽しかったです。授業は出なかったけど、毎日学校には行っていました。


中学校の卒業式で誰よりも目立つ駿太選手。

ーーSNSで拝見しましたが、中学校の卒業文集に、プロのキックボクサーになると書いていたんですよね。

書いた記憶はなかったのですが、見たら、書いた気がするなぁと思いました。僕、本当に記憶がとぎれとぎれで。当時の友達と話しても、僕の方が覚えていないことが多いんですよ。たぶんそれは、薬物の影響だと思う。でも、プロになるってはっきり書いていたから、きっとその時には自分の道を決めていたんだと思います。そんなに自分に自信があるタイプではないのですが、そのときはプロになれる自信があったのかもしれないですね。覚えていないからわからないけど。

ーーでも、当時は谷山ジムへ練習には行っていなかったんですよね?

行ってなかったですね。遊びというか、悪い方に進んじゃったんですね。

ーー高校には進学しましたか?

はい。(神奈川県立)神田高校(現・平塚湘風高校)というところへ入りました。当時は2/3が中退し、卒業するのは入学時の1/3と言われているような高校で、僕は半年でやめました。

ーー高校を辞めた理由は?

退学になっちゃったんです。同級生と喧嘩して殴ってしまったことで停学になり、自宅で謹慎していたところに相手の子とその両親が突然うちの家まで来たので、僕は殴ってしまった側なので謝り続けていたんですが、うちの玄関先で、相手の子が僕のことを殴り始めたんです。僕の母や相手の両親の前で。
最初は、先にやってしまった側だからと思いそのまま殴られていたのですが、長く続いたので抑えようとしたら、反撃しようとしたと思われてしまったみたいで、相手のお父さんにまで殴られました。そのあと家の中にまで入ってこられて、相手のお父さんがうちの台所の包丁を手に握ったんです。そこで相手のお母さんが止めて、これ以上のことにはならなかったのですが、うちの妹も母も泣いていました。高校は、喧嘩両成敗のように退学になりました。
このことは、精神的にきつかったです。

ーー何がきつかったのでしょう?

母がものすごく泣いていたことと、僕自身も怖かったです。家の中にまで入ってこられるとは思っていなかったから、自分からふっかけた喧嘩だったけど、こういうことになっちゃうんだってそこで思いました。

ーー高校をやめてからはどのような生活を?

アルバイトを始めました。4月6日生まれなので、高校生になってすぐに原付バイクの運転免許を取っていたので、デリバリーの仕事を。
それと、暴走族にも入っていたので、コルク半っていう暴走族がよくかぶるようなヘルメットをアルバイトのときにも使っていました(笑)。運転が好きだということでアルバイトも選びましたし、それが暴走族へ入ることに繋がっていましたね。

ーー暴走族の活動はどのような?

夜にバイクで走ります。16歳から17歳まで1年ほどやっていました。あるときに暴走族の仲間内でカンパをすることがあったのですが、そのために盗みを働いて捕まり、少年院に入ることになりました。


特攻服を着てバイクのハンドルを握る17歳のときの駿太選手

ーー先ほど薬物をしていたとの話もありましたが、少年院に入ることになったのは、窃盗が理由なんですね。

そうですね。いろいろと悪いことをしましたが、窃盗がきっかけです。1年ほどやっていた薬物も、少年院へ入ったときにやめましたが。

少年院でプロキックボクサーになる目標を立てた

ーー少年院にいた期間は?

9か月半です。満期は11か月だったんですが、真面目に過ごしていたので、模範生として認められ、刑期が縮まりました。

ーーどのような生活を?

すごく厳しかったです。クラスに30~40人ほどいるのですが、雑談は禁止。周りの人の過去のことは全く知らない。話しちゃいけないから。それをすると刑期が伸びてしまうこともあるんです。話すといえば、注意し合う感じです。「何々さん、肘ついてますよ。気を付けてください」など。注意されたら「失礼しました」と言って、お互い矯正し合う感じでしたね。
授業もありました。畑仕事をするチームもあったり、大検を取るコースもありました。僕は、溶接の資格を取る方に進みました。それで溶接の資格(溶接技能者資格)を取ることも出来ましたし、自主学習で英語の勉強や本を読むこともしました。目標を決めたり、過去のやってしまったことを自分なりに内省したりだとか。

ーー少年院での生活について伺いたいのですが、食事はどのような内容なのですか?

量が多かったです。僕は太りやすいこともあって、運動もしてたけど、5kgぐらい太って出てきました。太ってる人は、痩せるけど、僕は入る前太ってはなかったので、真ん丸で出てきました。

ーー寝るのはどのように?

6人部屋で、そこでは一言も発しちゃダメ。ルールの中で生活することを学ぶように、小さい社会の中で、守っていくということをやっていくところでした。不正は外だと法律違反をしているのと同じ為、少年院の中では、喋っているとやばい。基本的にすごく厳しいから、ちょっと喋ったら「うわー!この人、すごくやばいことやってる!」みたいになります。強制力は強かったなと思いますね。

ーー家族や友人とは会えるんですか?

家族は会えます。母が数ヶ月に1回、栃木県まで来てくれていました。外の話を聞けるのが楽しかったですね。

ーー目標を決める授業があったとのことですが、駿太選手はどのような目標を立てたのでしょう?

プロキックボクサーになる。

ーーそれは、どのような思いで?

中学2年のときにやってたから。ただそれだけですね。なんでかそうしてました。

ーー37歳になる今まで続くと思っていましたか?

いや…。プロになるっていう目標だったので、その先までは考えてなかったですね。

谷山ジムでの再出発

ーー出所後はどのような生活を?

保護司の方から「すぐに地元に戻らない方がいい」と言われ、静岡で仕事をしていました。近くにキックボクシングのジムがなかったので、ボクシングのジムに入りました。でも、友達と離れて暮らすのもすごく嫌だったし、キックボクシングをやりたいのももちろんあったので、保護司の方に話して許可を得て、3か月半で平塚に戻ってきました。

ーー地元に戻ってきてからは、すぐに谷山ジムに通い始めたんですか?

はい、すぐに。そこからは真面目にやっていました。

ーーどのように言って再度通うようになったのでしょう?

「またお願いしまーす。」って(笑)。アポなしだったと思います、確か。会長は「頑張って」って言ってくださいました。ヤンキーとか不良とかを更生する場所にしたいっていう思いも会長にはあるみたいで、ウェルカムな感じでした。すごい応援してくれてましたね。

ーーそこからは頻繁に通っていたのですか?

そうですね。18歳の頃に始めて、半年か1年くらいで新空手っていうアマチュアの大会に出るようになって、あるとき、そのトーナメントで優勝したら、プロデビューさせてくれると会長が言ってくれ、たまたまそのとき、同い年で先に谷山ジムへ通っていた城戸(城戸康裕。谷山ジム所属の現役プロ選手)と2人とも一緒に優勝し、そこで2人のプロデビューに会長がOKを出したってことがありました。
そこで、僕が先にデビューしたんですが、それが2003年、20歳のときのことでした。


新空手の大会で優勝した際の記念写真。前列左から2番目が駿太選手、4番目は城戸選手。

家族をいつか試合へ招待したい

ーープロ1戦目の試合のことは覚えていますか?

もちろん!渋谷のWOMB(ウーム)っていうクラブでやった試合に出させてもらいました。

ーークラブで格闘技を?

はい。そのとき流行り始めた格闘技団体が主催している大会でした。試合は、ドロドロ、グダグダ、とにかく勝つことを意識して(笑)。勝ちましたが、試合内容はぐちゃぐちゃだった。首相撲ばっかりですげぇ疲れました。殴る、蹴る力が最後の方は残ってないし、テクニックも何もなかったから、とにかく前に出るしかなくて。僕、テクニックはなくて、気持ちとスタミナだけで行くタイプだから、それで押し切ったっていう、すんごいひどい試合だったってことは覚えています。判定で勝ちだけは拾ったっていう試合でした。

ーープロ初勝利はいかがでしたか?

友達を呼ぶかすげぇ迷ってて。恥ずかしいから。負けたらどうしようっていうのと、足が細いのを見られるのが恥ずかしくて(笑)。僕、足が細いのがコンプレックスで、見られるのが嫌だからデビューするのはやめておこうかなと思うくらい。今はもうそのコンプレックスは解消されているけど、その記憶がかなり残ってるな。結局、友達は呼んで、30人くらい来てくれました。

ーーその試合に向けてはどのような準備をしていったんですか?

1か月から1か月半くらい性欲処理をしませんでした(笑)。何にも理論はないんですが、ただ、性欲は抑えた方がいいっていう風潮が流れいてたから、格闘技やっている以上それは当たり前なのかなと思ってそうしていました。あと、1か月前からは、とにかく全て全力でやる。疲れなきゃ意味ないって思っていて、いつもどこか身体が痛くなりながら全力でやっていました。もうそこは根性で。

ーー初めての減量はいかがでしたか?

はっきりとは覚えていないんですが58から60kgくらいの契約で、今より重かったんですが(現在は57 kg台が主戦場)減量はしました。栄養学は何にもわからなくて、とにかく軽いものを食べればいいと思っていたんで、うまい棒をめっちゃ食べていました(笑)。あと、ふ菓子とか。だから全然、身体が締まらないし、太っていて、減量はきつかったです。しかも、今でこそ管理していますが、その当時は試合が終わったらすぐ太っていたんです。お酒もガンガン飲むし、食べる物も全然気にしていなかったから、脂肪がついた分を試合の1か月半前になったら取り戻すって感じになってしまっていて、非効率だなぁと思っていました。

でも、強くなる方法がわからなかったので、風潮に流されていましたね。1か月前になったら追い込んで、試合が終わったらはっちゃけて、というのが格闘技のスタイルだと思ってたので、それに従ってやっていただけでした。今でもそういう格闘家って多いと思うんですが、それは合理的じゃないなと思いますね。自分の頭で考えられるようになったから、自分は今直していっていますが、それでもかなり遅かったです。30歳を過ぎてからなので。

ーープロキックボクサーとしての定義はありますか?

ないです。ボクシングとは違うところですね。厳密には、かっちりしたものはない。いろんなキックボクシング団体がありますが、そこでOKと言われればOKですし、その団体に出るためにライセンスを取らなければならないこともあります。僕がやっていたMA(MA日本キックボクシング連盟)という団体はライセンスがあって、取った記憶があります。だから、キックボクシングのプロのライセンスを取ったからできるということはなくて、僕がプロになったときも定義はふわふわしてました。定義はないと言いましたが、あるとすれば、僕の場合は、会長がOKするかしないかでしたね。会長がプロのプロモーターに推薦してくれれば出られるから。

ーープロキックボクサーを目指すこと、もしくはなったことは、いつご家族に伝えたんですか?大きなけがや、時に命の危険もある競技かと思います。

少年院にいた際、目標を決めたときに言いましたね。母はあまり格闘技を好きではないですが、「悪いことをやるよりはいいでしょ。全面的に応援とは言えないけど、駿太がやりたいことならやりなよ」って感じでした。でも母は1回も僕の試合を見に来たことはないんです。怪我とかが怖いみたいで。応援はしてくれているけど、見には来ないですね。いつも怖がっています。妹と弟も来たことがないです。いとこは来たことがあるんですが。家族はもうずっと来てないから、それが普通になっているんですが、今度呼んでみようかなとは思っています。そうだ、これをきっかけに呼んでみよう!

10代の多感な時期にやんちゃな過ごし方をしていた駿太選手。少年院時代に立てた目標を見事達成し、20歳でプロキックボクサーとしてのキャリアをスタートさせました。

後編では、今でも後遺症の残っている怪我や、Youtuberとしての活動についてなど、こちらも内容盛りだくさんです。お楽しみに!


キックボクシング 格闘技 駿太