遅刻した罰に腕立て伏せ10回?体罰が禁止されても根強く残るスポーツ界の伝統-日本人コーチが紹介する米国のスポーツ部活動その5
WATCH遅刻した罰に腕立て伏せ10回?体罰が禁止されても根強く残るスポーツ界の伝統-日本人コーチが紹介する米国のスポーツ部活動その5
日本と同じように、あるいはそれ以上に、米国では高校の課外活動としてのスポーツが盛んです。部活動はスポーツをする貴重な機会を生徒たちに与えてくれます。
部活動を通して、かけがえのない一生の友人を作った人も多いでしょう。その一方で、「ブラック部活」という言葉に象徴されるように、長時間の練習や顧問教員の超過労働など、様々な弊害も生じていることが指摘されています。
私は2017年からカリフォルニア州オレンジ郡にある私立高校でクロスカントリー走部の監督を務めています。さらに、2020年からは同じくオレンジ郡にある別の公立高校で野球部のコーチにもなりました。米国での部活動スポーツが実際にどのように行われているのか、現場から見た様子をご紹介します。
前回記事>> 日本人コーチが紹介する米国のスポーツ部活動-PART4-
「お前ら、気合が足らん。ずっと走っていろ!」は日米共通
巨人2軍がプロアマ交流戦で早大に敗れた直後、阿部慎之助2軍監督が全選手に「罰走」を科したことが話題になりました。プロ選手が学生相手に負けたのだから当然と頷く人もいるでしょうし、こんな前時代的なことをまだやっているのかと驚いた人もいるでしょう。
野球とはオールドファンが多いスポーツですので、どちらかと言えば前者に近い感想を抱いた人の方が多いかもしれません。この件を伝えたメディア記事も概ね好意的なものが多かったように感じます。
「罰走」とか「全体責任」とか、いかにも日本的なあるいは昭和的なしごき文化を連想させる言葉なのですが、実を言えば現在の米国でもスポーツ現場ではこうした光景を見ることはさほど珍しくはありません。
例として私がコーチとして関わっている高校野球チームのケースを紹介します。ある日サインの見落としによる失敗が重なって試合に敗れたことがありました。すると、監督の怒ること、怒ること。試合後のミーティングでは怒鳴り散らし、翌日の練習はこんな風になりました。
チームを2つに分けて紅白戦を行ったのですが、攻撃側のサインはどちらも同じ監督が出しました。サインプレーの徹底が目的ですので、やたら送りバントとかヒットエンド・ランが多く使われました。これ自体はよくやる練習です。
この日がいつもと違っていたのは、サインプレーが上手く行われなかったとき(ランナーのスタートが遅れた、バッターがバントをしなかった、守備側のサードがダッシュをしなかった、etc.)、監督がそのたびに試合を止めて、選手たちはその場からグラウンド1周、全速力で走らされたことです。ベンチに座っていたりして、問題のプレイに直接関係しなかった選手も含めて全員です。
結局、その日選手たちはグラウンドを何周したことでしょう。実際に試合をしている時間より、走っていた時間の方が長かったかもしれません。
走ることによって問題のあったプレイが上手くなるわけではありませんので、「罰走」と表現するしかないやり方でした。ちなみにこの監督は年配の人ではありません。まだ30歳そこそこで、マイナーリーグでの経験もある「青年監督」です。
罰としてのトレーニングは戒めるべき -コーチ学の常識のはずが
反省させるために身体的な苦痛を強いると言う意味では、罰として走らせることは往復ビンタを張ることと本質的には変わりません。
どちらを行ったとしても、そのスポーツの技術が向上するわけではありませんし、選手たちに無用な緊張感を与えて、かえって次のプレイ機会に委縮させてしまうかもしれません。それにもし走ることを嫌いにさせてしまったとしたら、罰走はむしろ一過性の体罰より害があるかもしれません。
罰を目的として何かしらのトレーニングを科すべきではないということは、本来なら常識のはずです。私が大学で学んだコーチ学の教科書にもそう書いてありましたし、高校の部活指導員に義務づけられている講習でもそう教わりました。罰としてのトレーニングはセクハラやパワハラと同じように不適切な行為であるとされていました。
それにもかかわらず、学校の部活動でも民間のジムでも日常的によくそうした光景を目にしますし、さほど問題視されることもありません。
あるクロスフィットのジムでは、遅刻1分につき10回のバーピーがルールでしたし、ある高校陸上部の合宿では、遅刻1分につき腕立て伏せ10回をやらされていました。それどころか、小学生のリトルリーグでもおしゃべりを止めなかった子供たちが走らされるところを見たこともあります。
私にとっては、走ることも、バーピーも、腕立て伏せも、すべて好きなトレーニングです。たとえ好きではなくても、やって意味のあるトレーニングです。
どれも罰としてやらされるべきものではなく、自分から進んで取り組むべきものだと思います。自発的なトレーニングの方が、強制されたときより、効果がはるかに高いことは明白だからです。だから、自分が指導するときは、罰としてはやらせない方針にしています。
しかし、他のコーチがするのであれば、それにあえて異は唱えません。モチベーションもまちまちな高校生の集団を統制しようとすれば、ある程度の強制力をもって臨んだ方が効率的なのは確かだからです。
私自身も、罰は与えなくても、ダラダラした生徒についつい大声を上げてしまい、後で自己嫌悪にかられるのはしょっちゅうです。
現在53歳の私より上の世代の指導者なら、もっと直接的な暴力で統制を取るのが普通だったかもしれません。今ではさすがに、物理的あるいは心理的な暴力を伴う体罰は許されないというコンセンサス自体は、米国はもちろん日本でも浸透していると思います。
しかしながら、41歳の阿部監督が2軍選手に罰走を科し、もっと若い指導者が高校生に同じことをする。そのような指導を受けた選手たちが指導者になるときは、当たり前のように次の世代に同じことをする。かくして伝統が受け継がれていく。そんな気がしてなりません。